20111029

メタボリズムにかわる思想



[展示会公式パンフレット]




昨日、遂にメタボリズム展にいってきた。

メタボリズムシンポジウム、別件でここ数週間で何度となく六本木に行くも、「ボリューやばい!」という周囲の人々の感想によって形成された固定概念に阻まれてなかなか足が向かなかった。

しかし、行ってみたら案外すんなり。
夕方から閉館までの時間で大体しっかりと観切ることができた。

情報に負けては惑わされてはダメ、変な固定観念はダメだと再認識、反省。

内容は満足のいくものだったし、もう一度行きたいなと思える良い企画展だった。
さすが森美術館!シンポジウムは色々不満はあっただったけど展示はコルビジェ展の時と同じくらい良かった。



観終わって思うこと、学んだことは多々あったが一番気になったのは、

「メタボリズムの活動の中核に土木技術者(エンジニア)は全くいなかったのか?」

ということ。

当時の土木は、今とは比較にならない程の壁が他分野との間にあったのだろうと容易に予想がつくが、本当に全くいなかったのだろうか…気になるところ。



また、驚かされたのが当時のメタボリズムの活動には、「建築」や「都市」や「ID」といった分野だけでなく、「グラフィック」や「音楽」等の分野の人々も関わっていたということ。

どのような関わり合い方だったのかをより詳しく知りたいところ、その組織論に興味有り。


現在、微力ながら活動に関わっているGS会議」「GSDy」も「GROUNDSCAPE」という一種の思想の下で、「建築・土木・都市・ランドスケープ・ID・歴史」といった分野の志高き人々が各々の分野で活動を行いながら、緩く繋がりを形成し、時にコラボレーションし、より良き風景の創出を目指していると言える。

「現代版のメタボリズムの様なものである。」

と語弊を恐れずに言ってみる。

あまり意識してこなかったが、「建築・土木・都市・ランドスケープ・ID・歴史」といった風に意識的にしろ、無意識的にしろ、ある一定の枠組みを決めてしまうことには否めないし、それによる弊害も少なからずあるんだろうなと感じる。



最近、「広告」の持つ優れた方法論だったり、「ファッション」や「音楽」「グラフィック」等々の持つ力や思考パターンに、まちづくり等々へのヒントを感じることが多々ある。

地域ブランディングに代表されるように広告やグラフィックというものから派生していった様な手法がまちづくりにとって重要な方法論にもなってきている。

とある先輩から伺ったことには、広告・商社・メーカーが一体となってまちづくり部門へと進出してくるという。建設コンサルタントはこの中でいかにして足場を確保するか。
→これはまた別の機会に。



話が少しそれたが、そういった意味で1つ前の記事で告知したようなGSDyで企画・運営している「salon」という場は非常に重要な意味を持っていると思う。

上述したような枠組みに囚われず、メンバーが興味を持った「コト」や「ヒト」に着目して、その道の第一人者の方のお話を伺ったり、メンバー同士で議論する場を企画実践し、議論の輪を、人の繋がりの輪を拡げていく。

「音楽と空間」「阿賀に生きるー映画上映会」「色彩と素材」「構造」「鋳物メーカー」等々、最近のサロンの内容を思い返すだけでも、数は少ないながらに実に多様な分野の議論の場が実践されてきていると思う。

ある先輩が言っていた。
「もっとサロンを活用しよう!」

ホントに、その通りだと思う。
場所も資金も確保されている。恵まれた環境にいるのだ。
しかし、現状2ヶ月に1回程度の利用、企画者もあまり出てこない。
これは「もったいない」状況である。



なにが最終的に言いたいかと言うと、
それくらい面白いことができる「変革の時代」に生きているのだから、より志高く、積極的に「行動」を起こそうというコト。

(多分に自戒を込めてます。自分が何もできてないことは棚にあげてます。)


そういった積極的な行動能力、既存の枠組みに囚われずに柔軟に輪を拡げていく能力、そして何より時代を変えていこうとする野心。

メタボリストの諸先輩方から、激励をもらったような、そんな展示会だったと思う。


「頑張ろう、自分」
「頑張ろう、日本」




20111027

【イベント告知】GSDy Salon 「 欧州ドボクデザイン紀行報告会 」



2011年11月11日(金) GSDyサロンを開催致します。


今回は、先日まで欧州に留学をされていらっしゃった千葉大学の八馬智先生をおよびして、欧州ドボクデザインについて豊富なスライドを拝見しながらお話を伺います。


特に、欧州各国のお国柄がどのように橋梁デザインに現れているかを中心として、欧州の土木構造物シリーズをご紹介頂く予定です。


日程上、金曜日の夜となり社会人の方々にはご不便かけますが、是非お越し頂ければと思います。もちろん途中参加も可能です。


懇親会の準備等がございますので、ご出欠のご連絡を頂いておけると大変助かります。
お手数ですが、宜しくお願い致します。



〈概要〉

日時:2011 年 11 月 11 日(金) 18:00 - 21:00

場所:東京大学工学部 1 号館 4F セミナー A 室



参加費〈ドリンク代〉:GSDy 会員 500円 ( 非会員 1000円 )


 会員以外の参加も大歓迎です。
 当日は、懇親会を予定。お酒と簡単なおつまみをご用意させて頂きます



お問い合わせ・申し込み :


 氏名/所属/連絡先を明記の上、下記アドレスまでお申し込み頂ければと思います。
 GSDy会員の場合は、その旨も併記して下さい。

 お申込み先 w.caee.o.yuji@gmail.com  〈 GSDy代表:岡田裕司 まで 〉


20111025

決意

10月22日

モドキではあるが、一つの節目を迎えた。

状況は、思ったよりも厳しいと痛感したインターン。
諸先輩型から話をきけばきくほどに、それは確信に変わっていく。

来年からその中で、どう立ち振る舞うか。
デザイン思考をいかに持続けるか。

がんばろう。


20111022

ハレの日のまちの風景ー川越祭りー


国交省の先輩の川越案内を兼ねて15日川越に行ってきた。
どれくらいだろうか?毎日電車では通っているが降り立っていなかった。

あれこれ川越のまちは変わっていていることに気がついて嬉しい部分もあり、ちょっと残念に思う部分もあった。
ちょっと洗練され過ぎ感?笑


蔵里 http://www.machikawa.co.jp/

クレアモール〜大正ロマン通り〜蔵づくりのまちなみに至る通称タイムスリップロードに位置して、つくられた産業観光館。

明治8年(1875年)に創業した旧鏡山酒造の建築物(明治・大正・昭和の時代に立てられた3つの酒蔵:国の登録有形文化財)を、当時の面影を残しつつ改修した施設で、平成22年にオープン。

01文化財の積極的利用を行っていること
(専門でないのでその保存利活用の質の良悪はわかりませんが)
02JR川越駅から蔵づくりのまちなみまでのちょうど中間地点に位置していて、休憩施設・観光案内施設として川越の面的な歩行者ネットワークに寄与するポテンシャルをもっていること
03埼玉や川越のモノ・コトがしっかりとブランディングされていること

初めて行ってみましたが好感が持てる施設でした。

02の点については少し懸念もあり、オールインワンでここで買物等が簡潔してしまわぬように街全体に人が流動する様な観光案内のコンテンツがもっと盛り込まれるともっともっと川越のまちが良くなるように感じた。


この日の川越は一年に一回の川越祭り
http://www.kawagoematsuri.jp/index.html

恥ずかしながら3年間、高校に通いながらも今年が初めて。
「360年の時を越える都市型祭礼の極み」と称され、国指定無形民俗文化財として全国的にも有名。


ハレの日だけあって、まちは人々の笑顔で溢れ、賑やかで輝いていた。


道ばたには椅子を出して談笑するおばあちゃん達

素敵な風景....
人と人の関係がまちににじみ出して見える
人とまち(場所)の幸せな関係が垣間見える

横の繋がりもさることながら、地域の子供達とと大人の縦の繋がりも「祭り」という一つのきっかけによって維持されている。
また、その中に新住民であろう外国人の親子も当たり前のように馴染んでいたのが印象的だった。(もちろん、みんながみんなではないだろうけど。)

小江戸っ子の気質なのか包容力のあるコミュニティー。
最近、言われているテーマ型コミュニティーとはまた違った本来的な意味でのコミュニティーの力を見せつけられたように思う。





山車と小江戸っ子のおっちゃん達


この辺りは、電線や信号があって少し窮屈な印象もあるが、蔵づくりのまちなみゾーンは電線地中化がされていることもあり、山車が映える(写真が良くない....)



ただただ地中化する地域が多いような気がして、本当に必要なことなのかと疑問に思うものも多いが、電線地中化がこのような感じで、お祭りを引立ててくれるのはなんだか素敵だなっと思った。




近くの桶屋の暖簾…かっこよすぎます。





昼過ぎから川越の名所や昼のお祭りを見てまわって、あっという間に夕方

ハレの日も時の鐘は相変わらず、静かに悠然と川越のまちの真ん中で鎮座して行き交う人々とその笑顔をみて満足げ。

まちには様々な匂いと屋台の光、行き交う人々の楽しげな声、素敵な夜。




不勉強で色々とまちなかの人々に山車やお祭りのことを伺いながら勉強して歩いた一日。

王蔵流、芝金杉流、堤崎流の3つの流派があるそうで、それぞれリズムやテンポなどが違うそう。
山車は古くからそれぞれの町毎に違ったテーマを持っていて、山車の姿もまち毎にバリエーション豊か、全部で29台。

http://kawagoematsuri.jp/dashi/

来年は記念年とのことで、全部の山車が勢揃いする様なお話をされていた。


曳っかわせの様子

今日のハイライト、3つの山車が競い合います。
交差点で山車が出会うと、山車を正面向け合って競い合います。



もちろん昼も良いけど、やっぱりこの仄かな光と人々の声がまちに溢れる夜の山車とまちが好きだ、そう思った。

郡上八幡の郡上踊りの夜と同じ、本当に素敵な夜の風景。


来年は、GSユースの日帰り見学会みたいな感じでみんなに体験してもらえたらいいねと帰り道、先輩と話した。来年、お楽しみに。

お祭りの日だからっていうのもあってか、色んな人とお話しして川越を満喫。
偶然にも蔵の会のキーパーソンの方からもお話を伺うこともできて大満足の一日でした。









20111020

ライフワーク




昨日は久しぶりのゼミ
気づけばもう10月も後半戦

やりたいこと(解明したいこと)は三年間変わっていない


橋梁の空間性についてである。

「橋梁を取巻く周辺環境と橋梁内部空間を複合的な一つの複雑系として捉えた時に、利用者が感じる空間の性質、すなわち空間性(筆者による定義)とその具体的な設計方法論との関係性を見つけ出すこと。」


しかし、その関係性を探る術をこの三年間探してきたが、未だに見つからないというのが事実

結局、ある種の操作的モデルをCGでつくって唯物論的な議論を行う訳だけれども、空間って二次元の視覚資料では体験(認知)してもらえないよね、という分かっているけど越えられない壁

今日もその話がゼミであった

ずっと上段に構え続けて空間性の大枠を議論したいと主張し続けてきた

三年間では到底太刀打ちできないテーマであると、最近気づいた


昨夜、同道の大先輩のMさんがツイッター上で「成し遂げるまでやる。」とつぶやいていた。その方の経歴や仕事を拝見しているとその言葉に重みを感じざるを得ない


みんな一生かけてなにかを追い求めて、成し遂げようとしているんだと励まされた気分になった


ライフワークとして追い続けようと思う
社会に出て設計を実践する中で、この感覚的かつ主観的な仮説をいかにして試していけるのかを考えたいと思う



先日、海外で設計の実践されている若い大先輩から頂いた言葉

「重要なのは、今考えていることを、様々な状況の中でいかに継続できるか」


今の自分にとっては研究という定められたフォーマットの中で、最大限の“あがき”をして、自分の問題意識を少しでも深める、明らかにすることが求められているのだろう

粛々とは物事をこなせない性分であることを恨みつつも、良かったとも思う

もう立ち止まっている時間は残されていない
走りながら考え、あがき続けよう。


そんな朝、5:55
ゴーゴーゴーだね!立ち止まるな自分。




20111017

Political Dress から得た雑感




「自由のためのデザイン、デザインにおける自由」は、ポーランドの社会、政治、文化の
変遷時期に当たる1981年から2011年を背景にした、初のプロジェクト。ポーランド近代の
あまり知られてない豊かなビジュアルの歴史を紹介する重要な試みです。

本展では「芸術における表現の自由とは何か」を主題に、共産主義からヨーロッパと
並ぶ民主主義国家への発展のなか、自由の限界、芸術と社会との依存性、真実の定義
といった社会問題を背景に生まれたグラフィックデザインを今一度振り返ります。

共産主義時代に自由の為に戦ったアーティスト達が、現在の新自由主義のポーランド
において、どのように消費者の最先端に立つデザイナーへと変化していったのか。

ポスターや雑誌、新聞、書籍、パッケージ、ロゴなどのデザイン展示を中心に、
レクチャーやフィルム上映などのプログラムも交えてご紹介します。

以上、【クラスカHPより】http://www.claska.com/news/eightgallery/



お誘いをうけてを上記のプロジェクトの一環としての「Political Dress」を観てきた。

ポーランド映画というのは見たことがなかったので勢いで見に行った部分もあったが、期待以上の知識を得れたことは嬉しかった。

ドキュメンタリー的な映画で、ポーランドを生きてきた数人の証言と当時の映像や写真などを中心に構成されており、ポーランドの社会と政治とそれを取り巻くサブカルチャーの変遷の歴史が非常に明快に表現されていた。


「Political Dress」 2011年 / ポーランド / 73分
監督:JUDYTA FIBIGER(ユディタ・フィビゲル)
脚本:JUDYTA FIBIGER, EWA OLBRYCHSKA(エヴァ・オルブリフスカ)


後半、文化学園大学准教授の田中里尚氏による服飾の歴史についての話は非常に興味深かった。

政治と歩を共にする時期、一方で政治に反旗を翻す時期。
ファッションには二面性がある。

ポーランドにおいては明確にファッションというものがその二面性を持ちながら社会や政治と深い関係を持ってきたことが映画から理解できた。

一方で、日本ではどうだろう?この回答は得られなかった。

先日の東京2050では、GSチームの提案として40年毎の歌曲、映画、漫画の歴史的変遷を都市の関係性で考察していた。

ファッションはどうだろう?
都市との結びつき、関係性は記述できるのだろうか?
社会との結びつき、関係性は記述できるのだろうか?

答えは、感覚的だけれど「NO」な気がする。

確かに、まちは時代時代のファッションの流行でその時代時代の雰囲気の様なものをつくってきただろう。

しかし、日本のファッションはあまりにも商業主義に迎合しすぎてきたように思う。(ここ数十年の間?)

今もそうだと思う、雑誌をはじめとした広告表現をみればそれは理解できるように思う。

購買意欲をかき立てるテクニックを駆使したものばかり。
他人と同化したい日本人気質を逆手に取ったスナップ写真集。

服に対する哲学やコンセプトがあるものが少ない。


僕は、「山本耀司」みたいな人が好きだ。
この前の渋谷西武のダイアローグ展覧会でもそれを再認識した。

今、日本にどれくらい哲学や通呈するコンセプトのあるデザイナーがいるだろうか?

三宅一生、吉岡徳人も大好きだけど、それとはまた少し違う様な気もする。

優れた感性やアイデアで成立するデザインが日本はお得意のような気がする。
それが、世界を驚かせているのも事実、それが日本らしさか?


この点は知識不足甚だしいので、結論なくダラダラ書くのはやめよう。



もう一点、感じたこと。

そのデザインの生きる期間は短いけれど、力のあるアートやファッション。

一方で、長い時間そのデザインが影響を持ち続ける、建築や土木構造物。
特に後者はそこに短期的に強い影響力を持たせようとすると失敗することが多々ある。

社会や政治と共に歩んできた土木や建築。

冒頭に戻ると、社会や政治に反旗を翻す術はないのだろうか?

新しい価値観や社会のあり方をなんとか示唆することはできないのだろうか。

某大先輩が論説で書かかれていた「市民土木」
違う!と言われそうだけど、なんだか近しい感覚を受けた。

市民と土木や建築で、政治に影響力を持ち得ないか。
クライアントが公共である時点で無理な話、はちゃめちゃだろというのは重々承知。

でも、昨今のまちづくりの事例を見ていると市民主体のシステムを構築して、行政を動かしていく場面が多いように思う。studio-Lの仕事を見てると本当にそう思う。

市民>行政の構図を上手く利用していくことにチャンスを感じる。

上辺だけの市民参加なんて無意味だ。


そんな2つの雑感を得た、映画上映会でした。
ちゃんちゃん