20120821

「in−put」と「out-put」

前にブログを記してから既に3ヶ月以上が経過した
急がしさにかまけて言語化することをサボり過ぎ、反省
たとえ短い文章でももっと頻繁に考えや悩みを書き記しておくべき


1.仕事

配属されてからそろそろ3ヶ月になる

1km以上もある大きな橋のデザインから数mm単位の高欄のデザイン
幾つかのプロポ、遺跡公園の整備、電波塔の色彩デザイン、遺跡防災のデザインコンペ



 数十haもある対象地:数千年の時を蓄積した大地を刻むということの重みを感じる。


飛び回るように日本中を出張しながら、飛び回るように社内でも色んな仕事をして
3ヶ月、駆け抜けるように過ぎ去った

でも、ここにきて(既に)悩む

発注者の求めてくるものが低い場合に、
受注金額に沿ってフルセットなデザインプロセスから
その一部を抜き出して受注金額に近づける

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1.求められた枠の中でデザインする。
2.求めてこない枠の外を求めてもらえるように説得する(勿論、やるべきと考えられるもの)
3.求められる枠の中で求められるものより少しだけ大きなものをアウトプットする
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答えは2.で有りたい。でも、そう簡単なものでもない
学生のアイデアコンペではなく、実際にお金が必要で、実際にモノが立ち上がるのだ

ここで、自分をいかにして納得させるか。

たぶん、今回は3.が答え
3.みたいな業務が多くなってくるはず

2.を常に目指しながらも、3.を繰り返して行く
そこで信頼を徐々に勝ち取って行くしかない(社内外)

これが自分のブランディングの1つ目



2.仕事以外

次に、社外活動
最近、こちらも忙しさにかまけて身が入っていない

GS(GSDy)、BDY、MATECO

どれも今は周りに甘えてばかりな状況で、自分からアクションを起こせていない
これからの課題

資格は取得、カラーコーディネーター2級
次は、1級環境色彩か

でも、これは「知識知」
この「知識知」を実務を通していかに「実践知」に変えて行くか

英語の勉強もしなければ

それ以上に、最近「in−put」が全く出来ていないのが最大の問題
4月から何冊読めた?指の数もない

働いて、生きて、それで精一杯
仕方ないのでここまでの自分は甘んじて認めよう

でも、ここから先はそうはいかない

「in−put」と「out-put」
前者がなければ後者のクオリティーはあがらない

ここに尽きるはず


さて、少し本を読んで寝よう




 やっぱり太郎はすごかった、物凄いエネルギーをもらった。 


















20120426

揺らぐ基盤、定まらぬ軸足

神田川笹塚支流暗渠部分岐点付近のポケットパークにて


1ヶ月ぶりの更新。

4月会社に入社し、あっという間に26日経過。
毎日飲んで、色んな人の話をきいている。

22日/26日


飲んでいる、とにかく。




また、新しいことが続々と始まっている。


01.「MATECO」設立:十人素色展
02.「GROUNDSCAPE PAPER」始動
03.「BDY」始動



始まっている、とにかく。



今年は、自分を取り巻く環境が変化する年。
特に4月は環境が一気に変化する。

6年間、所属してきた大学から会社へ
2年間、務めてきたGSDy代表も今週で退任(務めるなんて言葉は違うけど)

一方で、01〜02のように若手(20代後半〜30代後半)
の実務経験者の方々と一緒に進めている活動が始まってきた。

この中では自分は実務経験もなく一番下の立場での参加になる。
当然、自由度は低くなる。
一方で学生時代と異なり、社会人としての責任感も感じる。

この辺の環境の変化に、まだ馴染めていない。
心が揺らいでいる、モヤモヤしている。

また、会社でもやっぱり思考方法が周囲(同期、上司)と齟齬がある。
24年間、見たきたものも考えてきたものも違うから当たり前である。

しかし、なかなかしんどい。
丁寧に毎回共有していく、相手の考え方に耳を傾けていく。

しかし、どうやら諸々解決には時間が必要らしい。
なので焦らずに「プラス思考」でこのモヤモヤを楽しもうと思う。

この環境の変革の時期にしか出来ないこともたくさんある、きっと。
下の立場からだからできることもある、きっと。


その答えは、まだ分からないけど。
このモヤモヤ、一先ず書き記しておく。



20120328

「豊かさとは?ー対極的なモノ・コトをどうやって手をつながせるかー」【思考整理】



「どうやって対極的なモノ・コトの手と手を取っていくか。」


Its LOVE@上海 19参Ⅲ



1ヶ月以上Blog更新できていなかったので久しぶりの更新。
2月に修士論文を書き上げて、春休みはあちこちへ旅に行ってきた。

研究室旅行が諸々の問題でなくなったからというのもあるけど、

修了の卒業旅行は、


“誰かと一緒に風景を共有する旅” ではなく、
“1人で風景を考える旅” にしたつもり。
(もちろん旅先で、友達や素敵な地元の方々に会いましたけども。実は海外への一人旅は今回が初めて。




無理矢理つなげて考えている思考のようだけど、
恐らく繋がっていると思うので1つの記事にまとめてみたい。



1. 海外:急成長を遂げている中国


BANDからみた浦東地区@上海。最も有名で共有されている上海の風景




海外はインターンシップ中の先輩を頼って上海・西塘・杭州へ。8日間旅した。
上海と言えばこの風景が一番始めに浮かぶと思う。

その形態こそ違えど、本質はニューヨークや東京といった都市と瓜二つ。
資本主義の経済原理と人間の私利私欲、自己顕示欲がつくりあげた風景。
その一方でそれが観光資源として大衆には受け入れられ、都市のアイコンとなり
実際に巨額の金が落ちている。

河を挟んでその対岸には、OLD SHANGHAIといわれるBANDが数キロにわたって続く。


浦東地区からみたBAND@上海


この河を境界線として対比的な都市構造は独特で非常に面白いなと思った記憶がある。
“浦東地区側プロムナードから見る上海”と“BAND側から見る上海”
ここには河を挟んで数十年という時間のギャップが存在するのである。

そんなこともあって、上海のお土産に「上海百変」を買ってきた。



新華書城HPより



百景ではないが、上海の過去と現在の風景が左右のページで対比的に見れる写真集。
景観デザイン研究室の学生にとっては非常に便利で嬉しい本。



また、今回印象的だったのは
「DESIGN」や「CREATIVE」思考で都市再生を図っている地区、事例の多さ。
“19参Ⅲ”や“REDTOWN”といったものがそれである。

 19参Ⅲ


RED TOWN
「過去」と「現在」を繋ぐ。
「DESIGN」や「CREATIVE」といったキーワードが
何年も前から日本でも叫ばれ、実験的に行われてきている。

しかし、中国の対応の「スピード」や「量」は凄まじいなと感心するとともに
その「質」については都市全体にもいえることだけれども疑問は残った。

また、これは全世界的に言えることだけれど
「面的」にまちの「過去」と「現在」を繋いでいくことの難しさを感じた。
「点的」な再開発に終わらずに周辺地域へと波及効果を持ち得るか否か。

開発された地区の直ぐ脇はまるでベトナムのよう@19参Ⅲ屋上より


週末は、先輩と一緒に杭州と西塘へ。
ここでも感じ考えたのは、「観光」と「まち」「生活」というもののバランス関係。

どちらも観光地として有名な都市。
特に、西塘は「MIⅢ」の舞台となったことからかなりの外国人観光客が流れ込んでいた。
(かくいう自分も外国人観光客なんだけど)

キャッチフレーズは「生活都市」
確かに俗にいう生活景が残っている風景がたくさん見れて素敵な都市だった一面もある。

水路沿いには人々の生活が感じられる。色とりどりの布団や衣類が干されている。

辻にあたる場所では、かなりアナログな市が 


観光客が歩き回る通路にもこん菜、珍風景


素敵な風景があちこちで散見されたけど、
どれほどの観光客がこのような風景に眼を向けこの都市のコンテクストを楽しんでいるのだろうか、疑問ではあった。

実際のこの都市は、観光地化された店店が並んでいる。
人々はそこを歩き回り日帰りで帰っていく。
MIⅢの撮影場所で写真を撮って帰っていく。

そして、極めつけはこの都市とは全くコンテクストの関係ない外国人向けのカラオケやバーの乱立。はっきり言ってこれはもう景観地区(中国は定められているそう)としては致命的なもの。

静寂は切り裂かれ、まるで新宿のような風景が広がる。


 このまちのコンテクストとは関係ない店が連なる道をこのまちを歩き回るまるで亡霊のような観光客


これは、日本の観光地でも同じ悩みを感じる。
ここにはまた来たいと思えるのだろうか。

そもそも都市、場所の問題以前の問題で、「観光」という概念に対する思考の浅はかさなのかもしれない。訪れる人、或は迎え入れる人の文化度の低さなのかもしれない。

でも、その根底にはやっぱり「資本主義」といったものが横たわっている。
どうやって上手く付合っていくかが問題。




2. 国内:地方の風景 西日本巡り(研究室調査で高開訪問も含む)

国内は、常々行ってみたかった四国を中心として中日本から西に半月ぶらぶらと旅した。
旅程:東京→名古屋→三重→大阪→神戸→岡山→広島→山口→広島→しまなみ街道→愛媛→高知→香川(その前に研究室調査で徳島へ)

地方都市と山奥を交互に行き来するようなそんな旅立ったように思う。

公共交通機関と自転車での旅立ったので時間はかかったけど、その車窓で見た風景、自転車で(徒歩で)身体的に感じ取った風景は非常に貴重なものであった。


高開集落@徳島


共にしまなみ海道を100km旅した初陣だった自転車君。


内藤先生をはじめとしてGS関連のお世話になっている先生方の関わられた場所にもいくつか立寄ることも多かった。

写真ではよく拝見していたものも、実際にその地を訪れ歩き回ると比べ物にならない情報量を得ることができる、それは良き面も悪き面も。


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良き面では、やっぱりディテールにその仕事の努力や痕跡が見えたところ。
そしてやはりその「ディテール」が「風景」を決める重要な要素であると再度心に思えたところである。

住吉の入江のディテール



閑谷学校の石積み



先日の卒業式で研究室の同期から最後にもらった言葉、


「モノをつくることで社会がよくなるということを証明して欲しい」

噛み締めながらブログを書いている。






高知駅。ボクはこの駅周辺のデザイン好きだった。



一方でディテールではなく、そのものの持つ大きさや提供する体験で十分な威力をもっているなーと思ったのが角島大橋。片道車で3時間かけて行っただけのかいはあった。
(たべちゃん、車ありがとう!)


久しぶりに大きな橋で感動した@角島大橋


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悪き面で一番に感じたのは、まちとの「シンクロ率」「面的な連続性」といったものの低さ。
メディアでは取りあげられない(表現できない)面的な広がりとそのシンクロ率や連続性といった部分でがっかりさせられる部分も多かった。

それは設計者個人の問題ではない場合が大抵であり、
公共事業の枠組みそのもの自体に問題があることは明白である。

しかし、その枠組みに文句を言っていてもことは良い方向に進まない。
上海でも感じたことであるが、点的開発が行われた結果、それが周囲に波及していく、そんな再開発・設計の強度が求められるということを再認識した。

それって物凄い難しいことで、きっと稀なケースでしか実現できないものであると個人的には思っている。(モノの質が重要という先の意見に矛盾するように聞こえるやもしれないけど)

でも、実際に最近はそのことに気づいて様々なアトリエで奉仕的にまちづくり、ソフトの部分までも含めたモノづくりが行われている。(フットワークが軽いところで)
そういった状況に学生の内に身近に触れ、思考を深めてこれたのは非常に良かった。

一方で、社会を変えるにはいつまでもそれを奉仕的に、ゲリラ的にやっている訳にはいかない。


パッケージ化し、それを仕事として職能として売り込んでいく。


売るというと、お金儲けのように聞こえるがそうではない。
企業として信頼され、より多くの仕事をし、社会を変えていくには、商売を行わなければならないと思う。

先日、先輩との会話の中であったこと。

「コミュニティー」「まちづくり」「ブランディング」「景観」…
全部、善意に満ちた生温い捉えられ方をされている。

それらが、善意的なことには変わりない。
でも、いつまでも慈善事業的にやっていては決してサスティナブルではない(個人としても企業としても)し、職能としても確立していかない。
ひいては日本は一向に変わらないのであろうと思う。

研究室、バイト先、インターン先…色んな場所、色んな人々から6年間で学んだこと。
それは善意に満ちた思想である。
(…このままだと、善意に見せかけた自己満足とも言えるかもしれない)

その善意に満ちた思想をどのようにビジネス化し、日本を変えていくか。
大きな命題だなと思う。

最近、経済というか社会の成立ち、動きについて興味を持ってきている。
(上海の先輩も同じようなことをおもって投資ファンドで働いているのかな)

是非、その辺りを議論する場を持ちたいなと思う。議論する友を探したい。
その前に勉強しなきゃなと思う。

そういう意味では
4月2日より働く大きな組織でもがくということは非常に良い経験になると確信している。

20世紀、21世紀前半は思考停止状態、思想なくて機械的に行われてきたことが多くある。

ビジネスとしての公共事業・モノづくり・地域まちづくり…なかなか難しい。



でも、思想の土台はこの6年間で十分に固まったように思う。

「風景」という思想の基で、再度公共事業やモノづくり、地域まちづくりの方法論を再構築・ビジネス化し、サスティナブルな日本再生を実現していく。

これが、4月2日からの目標である。
尊敬する坂本龍馬と同じ桂浜でそんな想いを馳せたのである。
(本当はブログで思考を書きなぐりながら思ったんだけど。笑

桂浜にて想いを馳せる


挿入的に流れをあまり考えずに書けば、
善意ではなくビジネスとして銭湯というものをリデザインできないか。
これ、この旅で結構思ったこと。

旅行者のライフラインとしては非常に重要な役割を果たしてくれていたのもある、この度で各地の地元密着な銭湯にいくつか行って毎回おばちゃんやおじちゃんと話していて色々と伺った。やっぱり地方でさえ、どんどん銭湯はなくなっていっている一方で、大型スパのようなお店は大繁盛らしい。

銭湯文化を核にした地域ブランディング。

えびす湯(高松駅からちょっと離れた所)

最近は、女子銭湯部なるものを流行っているらしい。
ここで行ったえびす湯さんも紹介されています。
http://setouchikurashi.jp/2011/06/02/post_74/

そこでしかない何かを付加する。

人と人の交流アゴラのような知的交流の場・イベント、ここでしか体験できない銭湯の体験、地域に残っている銭湯をトータルに考えて周遊のような仕組みをつくる(温泉街では良くやっているやつをWEEKLYな感じに転用するとか)…

色々とアイデアは浮かぶけどなかなか実行に移すにはハードルが高いのだろう。
経済的な観点が一番の問題。


そういう意味では、直島に新しく出来た「I♡湯」はおもしろかったと思う。
アート、直島という地、ゲストハウスが大半という宿泊環境…
完璧に的を得た事例だと思う。

I♡湯








3. そして卒業式の日@吉見町


3月26日、長いようで短かった6年間の大学生活を卒業した。

その日の朝の出来事。
10年以上前から計画がのろのろと進んでいたバイパスがまちに完成したのである。
卒業式に向かう為に朝、駅に向かってバイクで走っているとバイパスが開通していた。

そこで感じた不思議な感覚というか違和感
Facebookや打上げパーティーの時に先生や数名の研究室のメンバーには話したが改めて書き記しておく。

これまで駅に向かう通学路は、比企丘陵の最東部分である吉見丘陵の裾野をうねうねと走っていく道であった。



通学路の風景(夏)


四季折々に山(丘)の木々の色は移ろい、その印象は変化する。
風が吹けば木々のざわめきを感じ、自然の匂いを感じる。

山からの水が流れてくる水路となっている谷になった部分は
バイクで走り抜けると一瞬空気が冷やっと感じられる。

所々、梅や桜の華やかな花が咲く。
照明は疎らで、夜は星空が綺麗に見える。

多雨があれば、沈んでしまう通学路の沈下橋。
自然との密接な感覚を与えてくれた。

沈下橋から丘陵を見る(秋)

本当に“豊かな”通学路だったと思う。
吉見で過ごした17〜18年くらいの時間は、本当に“豊かな”原風景を与えてくれたと思う。

駅までのバイクで走る、15分。

バイクに乗れないと帰れないので苦労もさせられたけど、
自分の大切な身体性を回復してくれる大切な時間だったと思う。

東京と地元吉見を行き来していたことが、結構重要なことだったように思う。
4月から東京、或は別の都市に住むのかもしれない。
なんとか身体性は失わず、変に染まらずに生きていきたいなと思う。

脱線したが、この道はもうあまり使われなくなっていくのだろう。
下手をすれば、管理の問題で沈下橋は近い将来なくなってしまうかもしれない。

バイパス道路を通った時にはこれらの感覚は全く生まれなかった。
田んぼを切り裂くように真っ直ぐ直線に整備された幅の広い道路。
確かに便利ではあるが、なにかが失われている感覚があった。

少し離れた所に走る、旧道が体験する存在から見られる画になってしまったよう。

これからこの道を通学する子供達には、
自分が体験してきたような自然との関係は構築されるのだろうか。

きっと答えは“否”で、原風景は違ったものになるのだろう。


“豊か”という言葉は定義が難しい。

それに便利なことが“豊かだ”という感覚も全否定は出来ない。
かくいう自分もバイパス道路が早く完成し、駅まで12〜13分で行けるようになったらと思っていた。

でも、その2〜3分の利便性の為に支払う代償はあまりにも大きすぎるし
風景体験の貧しさは許容し難いとさえ感じる。

旅で感じてきたことも全て同じである。

久しぶりのブログで長々書いてしまったが、
ここ一ヶ月少々の体験からくる問題意識のブラッシュアップをかなり整理できた。
(旅の写真、面白かった話などは殆どアップできてないけどそれは別の機会で)


“豊かさ”とはなにか。


我々日本人は何に価値を見出し、
これからの生き方とそれらから醸し出される風景を創っていくのか。

そしてそれらを考えていくと同時に前半で述べたように、

「風景」という思想の基で、再度公共事業やモノづくり、地域まちづくりの方法論を再構築・ビジネス化し、サスティナブルな日本再生を実現していく。


これがこれからの課題である(自分にとっても、社会にとっても)。
ありきたりなことかもしれないけど、自分の体験から紡ぎ出した言葉でブログにまとめられたのは良かった。
(書き出してから既に何時間か経ってしまった…)


この記事を見てくれて共感する部分があった人がいたならば是非議論しましょう。
結構最近の問題意識がまとまった感じはしています。


以上、4月2日から社会でどんどんアウトプットしていくぞー!!



20120209

「誠実」に生きる

学生、最後の最後に振り返るチャンスをもらった。

「研究室は組織ではなく、場である」

これって、ものすごい難しいことなんだなということを実感。

ご迷惑をかけ続けてきて本当に申し訳なく思う。

根本的に「礼儀」がなっていない。
それが色んな自分のダメな所に繋がっている。

社会に出るに際して、これは大課題だけど
ここで気づけたことは僕らにとって大きな成長だと思う。

気づかせてくれた方々には感謝。

とどのつまり、今年の目標である「誠実さ」ですね、まさに。

ヒトやモノやコトに「誠実」に生きていこう!心して。

“ピリオド”ではなく“休止符”

約一ヶ月ぶりに更新。

もう1週間以上経ってしまったけれど
1月30日に修士論文の最終発表が終わった。

でも、“ピリオド”ではなく“小休符”といった感じ。
これからどうするかはしっかりと考えなければいけないなと思う。

この三年間、橋梁の「空間性」にこだわって研究をしてきた。

修論はその中でも「囲繞性」に着目して
「囲繞性に着目した橋梁空間の評価に関する研究」というタイトルでまとめた。

思い返せば、たぶん学部1年空間デザインで見た
カラトラバのバックデローダフェリペⅡ世橋が始まり。

吊材に囲まれている橋梁内部空間にインスピレーション得たんだと思う。
実際に学部4年の時に欧州の橋を見てまわった時に現地を訪れ、その感覚を実感へと高めた。


バックデローダフェリペⅡ世橋


卒論を通して、数多くの橋(特に人道橋)を見ていく中で

「囲繞性」「領域性」「行為可能性」「調和性」「触覚性」

という5つの性質についての考察を行ってきた。

今回の研究ではその中でも「囲繞性」の1つだけを取扱った。

どれくらいの囲繞感がつくれるかといった部分に着目し過ぎても陳腐だし
それを人がどのように感じるか(どのような態度を示すのか)まで踏み込んだ。

でも、難しかったというの正直なところ。
確実に示せたのは本当に米粒のようなことだけである。

でも、分からなかったという事実
人の空間に対する見方、感性は本当に複雑であること
そのことが実感として分かっただけでもいい経験だったかな。

本当は、

橋梁を周辺環境も含めた橋梁空間という系で捉えて、
人の体験から逆算して設計を行う方法論(見方)を提示したかった。

勿論、それで失敗している例も沢山ある、大阪の人道橋とかね。
でもそれをみて、ダメだダメだといって揚げ足をとるだけでは進歩ない。

それはシビックアート、景観といったバブル期のあれこれに対する反応と一緒。

構造的合理性から設計していく方法。
空間体験から設計していく方法。

その両者からの視点をもって、ケースバイケースで
バランスよく方法論を選択していく。

特に自分は後者から新しい形態を創造する可能性が大きいと感じる。
自分は後者を軸に勝負したい。

研究成果としては評価はされないのかもしれないけど
独創的な視点で研究をできたと思っているし、その部分は自分を評価してあげて良いと思う。

さて、これは論文として世に問うべきなのか。
→指導教官に学会投稿したいと言うべきなのか。
(ポスター発表(2010)[下記]はしてるが、論文としては一回も学会に出していない)



それとも、実務において世に問えばそれで良いのか。

両者かな?

しかし、色んな方々にご迷惑をおかけした、お世話になった結果なので
大切にまとめ上げ、今後に活かしていかなければならない。

1年生の時インスピレーションのきっかけをつくって下さり、
研究室に入ってからの3年間は出来の悪い自分を丁寧に指導して下さり
重要なタイミングで的確なアドバイスを下さった佐々木先生。

インスピレーションを確信へと変えて下さった
エムアンドエムデザイン事務所の仕事の数々、そしてデザイナーの大野美代子さん。

悩んでいて手が動かない自分を鼓舞して下さった研究室の先輩や同期。

色々と相談にのって下さった学外の皆様、色んな方々に本当に感謝感謝です。



少なくとも、これは一生追い続けるテーマなんだと思う。


ピリオド”ではなく“休止符”

感謝を胸に引き続き、頑張ろう。


20120111

2012年、3つの初めごと。



橋梁歩き初めの日のベストショット(川崎ミューザデッキ)


“修論で忙しい”“卒設で忙しい”は、詐欺って誰かがつぶやいていた。笑
…忙しさにかまけてブログの更新をしなくなり出すときりがないのでしっかりと更新。

2012年の始まりは、初めごとづくしでスタート。


01_ 1/5 高校時代のクラス会(6年ぶり初)
02_ 1/7 橋梁歩き初め(BDY企画)
03_ 1/8 描き初め2012 即日設計会(GSDy企画)



01_川高クラス会

川高のクラス会を通じて思ったのは、やっぱり川高っていいなということ。

6年ぶりだけど違和感なく、昔の下らない話で盛り上がる。
もちろん真面目な話もできる。

みんな一流の企業に内定が決まっているのを聞いて、
すごいなーと思ったし、負けてられないなとも心を入れ替えられたと思う。

それぞれ、「夢」や「考え」を持って6年間成長してきている、そんな感じだった。

未来志向が強く、日々あまり昔のことを省みずに、前に前に進んでいく自分にとって
同窓会とか過去を大切に省みる時間の大切さをすごく感じた日だった。





02_「2012年、橋梁歩き初め


新港サークルウォークの上で。


1/7は、横浜・川崎へ橋梁見学会へ

若手コンサルタントの同志3人(まだ自分は学生ですが)で
秘密裏に活動を始めたBDY主催(表向きは、GSDy主催)で企画したもの。

大日本コンサルタントの松井さんをゲストとしてお呼びして、1日歩いてまわった。

午前中、中川沿いの橋梁については、
卒論で対象としていたこともあって参加者に説明をする側にもまわってみた。

人に自分の知識を伝える難しさも感じたし、
伝えることで自分の中で整理されていく感覚も得られた。

 常々気になっていた橋の色彩についても色見本帳でチェック!
川崎ミューザデッキの上で。


松井さんとの橋梁歩きは刺激的だった。

何度も横浜や川崎の橋は訪れてはいたが、
1人で見ているだけでは気づけなかった設計における「苦労」「努力」「工夫」
お話を伺うことで色んなことが見えてきた。

特に、お話を伺っていて思ったのは、
「際」のデザイン”がすごく難しいんだなということ。

建築や土木といった、分野間のコミュニュケーションの「際」であったり
部材と部材の「際」のディテールだったり


この部分が構造的にもキモ。
しかも、シェルター端部の照明の為にもう一工夫されている。


学生なりに、ある「理想」を描きながら物事を批評的に見ている(見てきた)。
それ自体は間違っていないと思っているし、学生にしかできないことと思っている。

しかし、実務・ものづくりの現場に出れば様々な難しさがあるのだと、改めて。
もっともっと注意深く、批評的に物事を見ていく努力と、専門知識、審美眼を持たねばと思う。

来年からはその「理想」とは少し離れて「現実」が直ぐそこに横たわっている環境で、日々の仕事と対峙しなければならない。

「現実」は学びながらも常に「理想」は追い求めていたい。
現実に打ちのめされるのではなく、現実を打開していく。

そうありたいと思うし、そうあれるように強くなる、スマートになる。
そこには常に、批評的に物事を見ていく努力と、専門知識、審美眼が必要だろう。
そして、今年の目標である「感性」の鋭さ。アンテナの感受性。

状況は厳しいのだろうけど、プラス思考で「現実」と「理想」を上手く行き来したい。

そんな決意を胸に歩き明かした1日だった。






03_ 描き初め2012 即日設計会


毎年恒例の年始の即日設計会。
毎年楽しみにしていながらも去年は参加できなかった。

3年前
講師:藤本壮介さんで、参宮橋周辺地域に3つのキーワードを選んで、それに即して提案するという内容→5位

2年前
講師:堀部安嗣さんで、本郷地区の敷地に3つの隣合う住宅を設計し、風景を創りなさいという内容→2位/オーディエンス賞


そして今年。
講師:藤村龍至さんで、テーマが「超鴬谷」

新年会明けオールで朝の課題説明に来て下さった藤村さん@鴬谷

鴬谷駅の既存地域側から「鴬谷らしさ」を抽出し、線路を挟んだ墓地の敷地を更地として考えて、そこに新たな都市を設計しなさいという内容。

はっきり言って、朝課題の内容を聞いた時は即日設計で出来る内容ではないと思った。

しかし、今回の課題のアウトプットの絞込み方が秀逸だった。
1/500のA3程の敷地に建物のボリュームや道路、空地などの模型表現のみ。
かなり絞り込んだ内容だった。

また、プロトタイプ(第一案)とプロダクト(最終案)のプロセスも評価対象。
←この辺りが藤村さん、超線形っぽい。


本当におもしろい課題だった。
藤村さん、そして所員の伊藤さん、運営代表の二人には本当に感謝の意を述べたい。



我々の班の提案を簡単にまとめておきたいと思う。

ー30分の敷地サーベイ・その後の地図やネットを用いた調査から把握したことー

•鴬谷駅周辺地区は、空地・駐車場が多い
建替えを控えた空地に加え、東京都心部の駅前にも関わらず圧倒的にコインパーキングが多い。これはこのまちの人々の為のものではなく、ラブホテルを利用する人々、つまり外来者の人たちの為の空間である。


建替えを待つ空地


コインパーキングの虫食いと追いやられた古くからある樹々





•行止まり道や緩やかな曲線の道、隠された豊かな空地の形跡

昔、小川が流れていたことや、この辺りは自然発生的に建物が増加していったこともあり特徴的な街路パターンが形成されている。独特のスケール感がある。
また、現在は典型的な「がわとあんこ」状態である街区、ラブホテルに取り囲まれている。しかし、その中には昔あった豊かな空地の形跡や、鴬谷らしさが隠されている。


奥に見える空地の豊かな感じ


•ラブホテルの持つアーキタイプ「ピロティー」
周知のように鴬谷には大量のラブホテルがある。歩いていて気がついたのはラブホテル
が持つ「ピロティー」状のウォークスルー可能な空間構成である。




マンション1階もこのアーキタイプを持っていた(奥に路地が見える)


ー提案の概要ー

以上の様な、サーベイの結果から

都市のキャパシティーは担保した開発とするために、
都市の持つ「がわとあんこ」の関係性は許容したまま鴬谷を「反転」
隠されていた鴬谷らしさを再表現し、超鴬谷を提案した。

具体的には、昔そうであったように街区内部に空地を配置する。
これは、現状のこのまちにとってマイナス利用となっている空地を
このまちにとってプラス利用していこうとするものである。


また「反転」の手法として、ラブホテルのアーキタイプであるピロティーを用いる。


街区周縁にピロティー状の建築を配置することで、
内部の空地に人々を迷い込ませていく都市形態プランを提案した。


ピロティーから垣間見える豊かな空地、路地等々が連単していくことで
人々が回遊し、豊かなまちを形成できる。


ヒルサイドテラスで槇文彦が実験したことを、
より大きなスケールの都市へと展開する、そんな提案である。


大まかにまとめるとそんな感じになる。


もちろん、それによって周辺の上野公園やお寺、レベル差のある線路反対側のまちとの関係も反映させて街区割り、建物のスケール等を決めていった。

ちゃんと提案を後でパネルとかにまとめとかなきゃな。
ひとまず、これくらいで。

実際の模型。

 プロトタイプ(15時)(事務局撮影)

最終提出:プロダクトタイプ(17時)(事務局撮影)




2時間で「空地」と「ピロティー」「路地」の連関性を高めた配置へとブラッシュアップ。
また、建物や道路等のスケール感をブラッシュアップ。


振り返ってみると、やっている最中は無我夢中だった。

でも、サーベイ開始5分くらいで空地の位置をプロットし始めていた。
ラブホテルのアーキタイプにも気づいていた。
そこで提案の方向性は既に決まっていたように思う。


結果として、今回は最優秀賞を頂くことができた。

3年目にして初めての1位。
というか、やってきた数あるコンペで初めて1位。
…万年2位の佐々木研と言われていたし。

賞状。

素直に、すごく嬉しいかった。励みになった。
これまで積み重ねてきたことが、学生最後の最後で実を結んだ感じ。

振り返ってみて、これだっていう感覚を持てたこと、
それに気づけたことが結果よりも何よりも一番大切な経験だったと思う。

強引に進めたにもかかわらず、
文句も言わずに最後まで一緒に取り組んでくれた二人には感謝をしたい。
それに、これをキッカケに更にいっぱい勉強して欲しい(自戒も込めて)

戦いのあと。超線形プロセスの実践は模型づくりの戦いだった。

集合写真。(事務局撮影)



しかし、藤村さんの講評の方法が面白かった、斬新だった。

 パソコン片手に評価マトリクス表を作成する藤村さん

アルド・ロッシの「類推的都市」を即日設計会のテーマとして設定していたそう。
東工大の塚本研が良くやっている構成論的な考え方を基本とした評価基準の設定。


•建築ボリュームや道路、空地の構成論的な解釈ができているか。
•街区や建物のスケール感は合致しているか。
•都市と建築等のモルフォロジーをクリエイティブに関連づけた提案ができているか。

明快にマトリクス的に点数化。
それらに加えて、ディスカッションタイムでの内容を加味して最終評価。

今回の参加者の傾向としては道路の解釈が弱かったという分析で締めくくった。


最後、懇親会の席で藤村さんを囲み今後の日本について
熱く、じっくりと語れたのは何よりも楽しかったし、非常に勉強になった。

藤村さんのボキャブラリーの豊富さ、論理的話術、話の受答えのスピード…完敗だった。

頑張ろう、負けないように。
そう同じ川越高校出身で、都市に関わる者として、負けていられない。


P.S. 藤村さんはウォーターボーイズだったというのが、この日の最大の発見