研究室の後輩のゆうちゃんの研究の被験者として赤坂、月島を歩いてきた。
これが分かりやすい、今言われている様な溢れ出しとかいうやーつ。
なにが生活感なんだろうと3時間程歩きまわる。
赤坂で見つけたおもしろ物件。
まるでロボットのよう。
さすがに生活感は感じられないw
この4軒の並びはすごかったな。
手前三件はデザインもほぼ同じ。
隣り合う三件で風景になる、去年の描き初めを思い出す。
なんだかなー。
でもさっきのすぐ近くにこんなエコハウス、前面緑化を試みている物件も。
赤坂恐るべし。
歩いていてかわいかったのがこのマンション。
ドアのいろがPOPでカタチもいい。
手前のコカコーラの赤がドアの青と引き立て合っているw
と生活感については全く触れていない文章になっているが、ひとつの仮説はあるいていて立った。
建物のファサードのディテール
壁面の材質、手摺の有無、建具の材質、、、、これが結構印象に強く影響していた。
もちろん道の狭さ、緑の溢れ出し、、、なども生活感要素である。
でも建物のファサードのディテールが実は結構生活感要素(要因)として寄与しているのではないだろうか。
コンクリート、タイル張り⇄トタン、漆喰塗り壁
確実にその暖かみが違う。
あと、古さに関して。
木密の入り組んだ煩雑な感じが生活景のような感じで捉えられているが、上の様なノスタルジックな昭和の高度経済成長期とかにつくられたマンションやアパートも生活感要素のような気がする。
とあれこれ考えさせられた。
もちろん様々なものが関係し合っていることは間違いない。
でも自分の判断基準としては上の二つの様な基準が実験をとおして浮かび上がった。
生活景ってなんだろう、ちゃんと勉強してみなければ。
20101226
Tokyo D Travel ①新橋ー有明『勝鬨橋〜晴海大橋〜有明北橋』
浜離宮恩賜庭園を後にし、築地で昼食後に築地本願寺を見て橋梁見学へ。
—概要—
名称:築地本願寺(正式名称:本願寺築地別院)
竣工:1934
設計者:伊藤忠太
とても日本のお寺には見えない。異国情緒に溢れていて壮大。
歴史的には、1617年に西本願寺の別院として浅草近く横山町に建立されたが、明暦の大火で焼失。
再建に際して区画整理等の関係で同地に再建ができず、埋め立てによって土地を築き1679年に現在の地に再建された。
関東大震災は耐えしのぐもその後の火災で伽藍を再度焼失。
現在の古代インド洋式の伽藍は伊藤忠太の手によってつくられたものである。
晴海通りに架かる日本、東京を代表する名橋『勝鬨橋』
東京湾を間近に、東京の入口としてデザインされている。
70年経った今も隅田川に架かり続け、東京の原風景になっている。
—概要—
名称:勝鬨橋
竣工:1940年6月14日
所在:東京都中央区
設計指導:成瀬勝武ら
設計:瀧尾達也、安宅勝ら
橋長:246m
幅員:26m
勝鬨橋はたまに震災復興橋梁と間違われる事があるが、
東京湾修築事業に伴って整備されたものである。
勝鬨橋は日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)である。
1980年以降は跳開されておらず、近年市民運動等で再び跳開を、という運動が起こっている。
今はロックがしっかりとかかっている。
全景。
橋長246mなかなか写真に納まりきらず大分遠くまで隅田川テラスを歩いたw
街路照明なども非常に手が込んでいる。
リベット。
職人の手仕事の痕跡。
触覚性のある構造体に萌える。
これだけの巨大な構造物にこの数センチというスケールの手仕事の痕跡があること。
これによってこの鋼の塊に親近感がわいてしまうんだからすごい。
ランプがずらっと並んでいて何ともいえない見え。
橋詰広場には渦を巻いたモノが。
なんだかこれは頂けないなと。。。
橋軸方向から。
歩道面から。
すごいアーチ部材のすごいボリューム感。
新豊橋のモノの三倍程あるアーチ部材端部。
跳開時様の信号。
レトロでかわいい。
この信号がもう一度点灯することはあるのだろうか。
その後、11月のGSDyサロンで昭和鉄工さんにご紹介頂いた晴海大橋、有明北橋へ。
共に内藤さん×南雲さんのデザイン。
まずは晴海大橋。
南雲さん好みの六画ボルトのディテール。
普通のナットと違って表に出っ張りが出てこないのでスッキリとしている印象。
柱にも凹凸がついていて触覚性がある。
ダクタイル鋳鉄、職人技のなせる技。
橋前後部の高欄の横からの見え。
橋梁部分の高欄を横方向から。
笠木のディテール。
ここも凹凸のついた触覚性のあるディテール。
これによって、手触りの良さだけでなく実際に夏期の使用性(笠木が熱くなりにくい)
も上がるとのことであった。
高欄真横から。
バルコニー部の高欄のR。
この部分の制作が一番苦労したとサロンで昭和鉄工さんがおっしゃられていてたことを現地で再感。本当に綺麗にできている。
でも今更橋にバルコニー、しかもボラードみたいなベンチがならんでいる。
これはあまり好かない。
これで結果的に高欄がこんなアクロバティックになったわけだしな、んー。
照明が入っている部分のディテール。
そこから更に有明に向かっていくと、補助何号だったが忘れたが、
GSのデザイナーが関与しているオーラーぷんぷんの街路デザイン。
これは小野寺さんが関わっているのだろうか?
サロンでは内藤×南雲といっていたような。。。
照明中は南雲さん。
個々ではこの二種類と橋梁部の車道照明のものの合計三種類が使われている。
どの道これは残念すぎる。
ここもなぜか切替えのラインが違う。そろえた方が見栄えが良い気がする。
ディテールが気になる。なにか理由があるのか。
最後、有明北橋。
親柱。
こちらは晴海大橋と違ってスケールも抑えめ。
ちょっとノスタルジックなイメージで他の部材とイメージが違う。
高欄。
先程の晴海大橋とは違い、マスな支柱。
笠木は同じく凹凸のついたもの。
車道側、車両防護柵はシンプル。
足下にフットランプが入れられており歩行面の照度が保たれている。
橋を渡り終わると、高欄(柵)のディーテールが変わる。
シルバーのやや冷たいイメージの機械質の素材感。
あまり触覚的なイメージを受けない。
長かった。雨振っていたし。
ブログにするのもしんどかった。。。
—概要—
名称:築地本願寺(正式名称:本願寺築地別院)
竣工:1934
設計者:伊藤忠太
とても日本のお寺には見えない。異国情緒に溢れていて壮大。
歴史的には、1617年に西本願寺の別院として浅草近く横山町に建立されたが、明暦の大火で焼失。
再建に際して区画整理等の関係で同地に再建ができず、埋め立てによって土地を築き1679年に現在の地に再建された。
関東大震災は耐えしのぐもその後の火災で伽藍を再度焼失。
現在の古代インド洋式の伽藍は伊藤忠太の手によってつくられたものである。
晴海通りに架かる日本、東京を代表する名橋『勝鬨橋』
東京湾を間近に、東京の入口としてデザインされている。
70年経った今も隅田川に架かり続け、東京の原風景になっている。
—概要—
名称:勝鬨橋
竣工:1940年6月14日
所在:東京都中央区
設計指導:成瀬勝武ら
設計:瀧尾達也、安宅勝ら
橋長:246m
幅員:26m
勝鬨橋はたまに震災復興橋梁と間違われる事があるが、
東京湾修築事業に伴って整備されたものである。
勝鬨橋は日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)である。
1980年以降は跳開されておらず、近年市民運動等で再び跳開を、という運動が起こっている。
今はロックがしっかりとかかっている。
全景。
橋長246mなかなか写真に納まりきらず大分遠くまで隅田川テラスを歩いたw
近づくにつれて、そのダイナミックさや表面のテクスチャーが見えてくる。
全体を把握できる距離からは非常に優雅な印象であるが、近づくにつれて力強い印象になっていく。
街路照明なども非常に手が込んでいる。
リベット。
職人の手仕事の痕跡。
触覚性のある構造体に萌える。
これだけの巨大な構造物にこの数センチというスケールの手仕事の痕跡があること。
これによってこの鋼の塊に親近感がわいてしまうんだからすごい。
ランプがずらっと並んでいて何ともいえない見え。
橋詰広場には渦を巻いたモノが。
なんだかこれは頂けないなと。。。
橋軸方向から。
歩道面から。
すごいアーチ部材のすごいボリューム感。
新豊橋のモノの三倍程あるアーチ部材端部。
跳開時様の信号。
レトロでかわいい。
この信号がもう一度点灯することはあるのだろうか。
移動中にあったすごいスカイウォーク
すごいところでビルを連結したもんだ。
よくわからないけどカッコイイw
共に内藤さん×南雲さんのデザイン。
まずは晴海大橋。
—概要—
名称:晴海大橋
竣工:2006年3月25日
所在:東京都中央区晴海3丁目〜江東区豊洲6丁目
設計・指導:内藤廣、南雲勝志、あとどっかのコンサル? 詳細不明
橋長:580m
南雲さん好みの六画ボルトのディテール。
普通のナットと違って表に出っ張りが出てこないのでスッキリとしている印象。
柱にも凹凸がついていて触覚性がある。
ダクタイル鋳鉄、職人技のなせる技。
橋前後部の高欄の横からの見え。
これでもかっていう程のシンプルでシュッとしたデザイン。
縦柵も細い。連結部分のディテールも収まりが非常に良い。
これで良くもちますなー昭和鉄工さんのダクタイル鋳鉄の強度、技術はすごい。
これも南雲デザインの親柱?
どっかでこんなデザインを見たことがある様なきがする。勝山?
木(おそらく杉?)でできたものすごいスケールの親柱。
橋のスケールとは合っているのかもしれないが、歩道幅員、歩行者から見たらものすごい大きさ。
こちらは、道路側の鋳物でできた照明中。
これもシュッとしているし、臨海部の橋の雰囲気にすごいマッチしている。
高欄ともシンクロしているデザイン。
橋梁部分の高欄を横方向から。
笠木のディテール。
ここも凹凸のついた触覚性のあるディテール。
これによって、手触りの良さだけでなく実際に夏期の使用性(笠木が熱くなりにくい)
も上がるとのことであった。
高欄真横から。
バルコニー部の高欄のR。
この部分の制作が一番苦労したとサロンで昭和鉄工さんがおっしゃられていてたことを現地で再感。本当に綺麗にできている。
でも今更橋にバルコニー、しかもボラードみたいなベンチがならんでいる。
これはあまり好かない。
これで結果的に高欄がこんなアクロバティックになったわけだしな、んー。
照明が入っている部分のディテール。
そこから更に有明に向かっていくと、補助何号だったが忘れたが、
GSのデザイナーが関与しているオーラーぷんぷんの街路デザイン。
これは小野寺さんが関わっているのだろうか?
サロンでは内藤×南雲といっていたような。。。
照明中は南雲さん。
個々ではこの二種類と橋梁部の車道照明のものの合計三種類が使われている。
絵になる照明中だな、やっぱり。
この車両防護柵も昭和鉄工さん×南雲さん。
しかし、舗装はかなり残念な状況になっていた。
非常に細かいレンガ敷のディテールだが、ガタガタ。
施工の問題か?維持管理を考慮できていないデザイン側の問題か?
周辺の工事の関係か、東京モノレールの関係か?
なぜこんなにもガタガタになってしまっているのだろうか。どの道これは残念すぎる。
ここもなぜか切替えのラインが違う。そろえた方が見栄えが良い気がする。
ディテールが気になる。なにか理由があるのか。
—概要—
名称:有明北橋
竣工:2006年3月25日
所在:東京都江東区豊洲6丁目〜江東区有明1丁目
設計・指導:内藤廣、南雲勝志、あとどっかのコンサル? 詳細不明
橋詰から。
親柱。
こちらは晴海大橋と違ってスケールも抑えめ。
ちょっとノスタルジックなイメージで他の部材とイメージが違う。
高欄。
先程の晴海大橋とは違い、マスな支柱。
笠木は同じく凹凸のついたもの。
車道側、車両防護柵はシンプル。
足下にフットランプが入れられており歩行面の照度が保たれている。
橋を渡り終わると、高欄(柵)のディーテールが変わる。
シルバーのやや冷たいイメージの機械質の素材感。
あまり触覚的なイメージを受けない。
長かった。雨振っていたし。
ブログにするのもしんどかった。。。
Tokyo D Travel ①新橋ー有明『浜離宮恩賜庭園』
カプセルタワービルを後にして、『浜離宮恩賜庭園』へ。
最近はランドスケープ特論で色々な庭園や公園に行く機会が多い。
日比谷公園
明治神宮―神宮外苑
本郷給水園
小石川後楽園
昭和記念公園
…
この二ヶ月くらいで色々と見て回ったな。
浜離宮恩賜庭園は、東京湾からの潮の干満で景色の変化を創り出している回遊式築山泉水庭園。
もともと、将軍家の鷹狩場であった。
その後、将軍家の別邸として浜御殿として改修を行い茶室、火薬所、庭園が整備された。
幕末は外国人接待所として利用され、明治維新後に宮内省管轄で浜離宮と改められた。
現在のかたち、都立庭園としては1946年に開園、1952年に特別史跡、特別名勝に指定されている。
築山からはレインボーブリッジを臨める。
あいにくの☁空だけれども。
紅葉で一面真っ赤に染まる地面。
最近はランドスケープ特論で色々な庭園や公園に行く機会が多い。
日比谷公園
明治神宮―神宮外苑
本郷給水園
小石川後楽園
昭和記念公園
…
この二ヶ月くらいで色々と見て回ったな。
浜離宮恩賜庭園は今回初。
あいにくのお天気で全然写真映えしない。
しかし、めげずに入園。
浜離宮恩賜庭園は、東京湾からの潮の干満で景色の変化を創り出している回遊式築山泉水庭園。
もともと、将軍家の鷹狩場であった。
その後、将軍家の別邸として浜御殿として改修を行い茶室、火薬所、庭園が整備された。
幕末は外国人接待所として利用され、明治維新後に宮内省管轄で浜離宮と改められた。
現在のかたち、都立庭園としては1946年に開園、1952年に特別史跡、特別名勝に指定されている。
石積みがものすごい綺麗。
石の色が違うのは積み直して補修などがされているからなのだろうか。
石の色が違うのは積み直して補修などがされているからなのだろうか。
こっから鴨が来るのを見つめていたそうな。
築山からはレインボーブリッジを臨める。
あいにくの☁空だけれども。
紅葉で一面真っ赤に染まる地面。
雪吊りがもう準備されていた。
この繊細で造形的な職人仕事。
好きだ。
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