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20130316
震災から約2年、自分にできること。
4月から震災復興の仕事に携わることになりそう。
意図的に避けてきた訳でもないけど
入社後、1年間全く東北の震災復興関連の業務には関わりがなかった。
陸前高田。
震災一ヶ月後に土木技術者の卵4人で
実際にその目で見て、空気を感じて、未来の糧にしようと話し合って
東北の地を訪れて以来、あれから二年弱。
今はどんな風景が広がっているんだろう。
同期や先輩の多くは、この二年間現場の最前線で働いている。
2年間、頭の片隅にはずっと情報をと思いながらも
リアルな情報から離れていた自分に今、何が出来るのだろう。
きっと、できることは小さなことしかないと思う。
でも、今の自分にできることを精一杯やる、それしかない。
そんな風に思って、ふと約2年前の写真を見返していて
今でも鮮明に覚えていた、とても印象的だった一枚。
車で走りながら撮ったので写真のピントはあっていないけど
記憶には、鮮明にブレなく残っている。
震災から1ヶ月ばかり。
瓦礫の撤去もままならない状況にも関わらず、
町名の入った提灯飾りを立てた、まちの人の想い。
まちに対する強い想いが垣間見えた風景。
この想いが2年経ってどんな風に繋がってきているのか。
2年間、様々な人々が積み上げてきたまちづくりへの想いに
リスペクトしながら、4月から自分なりに向き合ってみたいと思う。
20120328
「豊かさとは?ー対極的なモノ・コトをどうやって手をつながせるかー」【思考整理】
「どうやって対極的なモノ・コトの手と手を取っていくか。」
Its LOVE@上海 19参Ⅲ
1ヶ月以上Blog更新できていなかったので久しぶりの更新。
2月に修士論文を書き上げて、春休みはあちこちへ旅に行ってきた。
研究室旅行が諸々の問題でなくなったからというのもあるけど、
修了の卒業旅行は、
“誰かと一緒に風景を共有する旅” ではなく、
“1人で風景を考える旅” にしたつもり。
(もちろん旅先で、友達や素敵な地元の方々に会いましたけども。実は海外への一人旅は今回が初めて。)
無理矢理つなげて考えている思考のようだけど、
恐らく繋がっていると思うので1つの記事にまとめてみたい。
1. 海外:急成長を遂げている中国
BANDからみた浦東地区@上海。最も有名で共有されている上海の風景
海外はインターンシップ中の先輩を頼って上海・西塘・杭州へ。8日間旅した。
上海と言えばこの風景が一番始めに浮かぶと思う。
その形態こそ違えど、本質はニューヨークや東京といった都市と瓜二つ。
資本主義の経済原理と人間の私利私欲、自己顕示欲がつくりあげた風景。
その一方でそれが観光資源として大衆には受け入れられ、都市のアイコンとなり
実際に巨額の金が落ちている。
河を挟んでその対岸には、OLD SHANGHAIといわれるBANDが数キロにわたって続く。
浦東地区からみたBAND@上海
この河を境界線として対比的な都市構造は独特で非常に面白いなと思った記憶がある。
“浦東地区側プロムナードから見る上海”と“BAND側から見る上海”
ここには河を挟んで数十年という時間のギャップが存在するのである。
そんなこともあって、上海のお土産に「上海百変」を買ってきた。
新華書城HPより
景観デザイン研究室の学生にとっては非常に便利で嬉しい本。
また、今回印象的だったのは
「DESIGN」や「CREATIVE」思考で都市再生を図っている地区、事例の多さ。
“19参Ⅲ”や“REDTOWN”といったものがそれである。
19参Ⅲ
RED TOWN
「過去」と「現在」を繋ぐ。「DESIGN」や「CREATIVE」といったキーワードが
何年も前から日本でも叫ばれ、実験的に行われてきている。
しかし、中国の対応の「スピード」や「量」は凄まじいなと感心するとともに
その「質」については都市全体にもいえることだけれども疑問は残った。
また、これは全世界的に言えることだけれど
「面的」にまちの「過去」と「現在」を繋いでいくことの難しさを感じた。
「点的」な再開発に終わらずに周辺地域へと波及効果を持ち得るか否か。
開発された地区の直ぐ脇はまるでベトナムのよう@19参Ⅲ屋上より
週末は、先輩と一緒に杭州と西塘へ。
ここでも感じ考えたのは、「観光」と「まち」「生活」というもののバランス関係。
どちらも観光地として有名な都市。
特に、西塘は「MIⅢ」の舞台となったことからかなりの外国人観光客が流れ込んでいた。
(かくいう自分も外国人観光客なんだけど)
キャッチフレーズは「生活都市」
確かに俗にいう生活景が残っている風景がたくさん見れて素敵な都市だった一面もある。
水路沿いには人々の生活が感じられる。色とりどりの布団や衣類が干されている。
辻にあたる場所では、かなりアナログな市が
観光客が歩き回る通路にもこん菜、珍風景
素敵な風景があちこちで散見されたけど、
どれほどの観光客がこのような風景に眼を向けこの都市のコンテクストを楽しんでいるのだろうか、疑問ではあった。
実際のこの都市は、観光地化された店店が並んでいる。
人々はそこを歩き回り日帰りで帰っていく。
MIⅢの撮影場所で写真を撮って帰っていく。
そして、極めつけはこの都市とは全くコンテクストの関係ない外国人向けのカラオケやバーの乱立。はっきり言ってこれはもう景観地区(中国は定められているそう)としては致命的なもの。
静寂は切り裂かれ、まるで新宿のような風景が広がる。
このまちのコンテクストとは関係ない店が連なる道をこのまちを歩き回るまるで亡霊のような観光客
これは、日本の観光地でも同じ悩みを感じる。
ここにはまた来たいと思えるのだろうか。
そもそも都市、場所の問題以前の問題で、「観光」という概念に対する思考の浅はかさなのかもしれない。訪れる人、或は迎え入れる人の文化度の低さなのかもしれない。
でも、その根底にはやっぱり「資本主義」といったものが横たわっている。
どうやって上手く付合っていくかが問題。
2. 国内:地方の風景 西日本巡り(研究室調査で高開訪問も含む)
国内は、常々行ってみたかった四国を中心として中日本から西に半月ぶらぶらと旅した。
旅程:東京→名古屋→三重→大阪→神戸→岡山→広島→山口→広島→しまなみ街道→愛媛→高知→香川(その前に研究室調査で徳島へ)
地方都市と山奥を交互に行き来するようなそんな旅立ったように思う。
公共交通機関と自転車での旅立ったので時間はかかったけど、その車窓で見た風景、自転車で(徒歩で)身体的に感じ取った風景は非常に貴重なものであった。
高開集落@徳島
共にしまなみ海道を100km旅した初陣だった自転車君。
内藤先生をはじめとしてGS関連のお世話になっている先生方の関わられた場所にもいくつか立寄ることも多かった。
写真ではよく拝見していたものも、実際にその地を訪れ歩き回ると比べ物にならない情報量を得ることができる、それは良き面も悪き面も。
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良き面では、やっぱりディテールにその仕事の努力や痕跡が見えたところ。
そしてやはりその「ディテール」が「風景」を決める重要な要素であると再度心に思えたところである。
住吉の入江のディテール
閑谷学校の石積み
「モノをつくることで社会がよくなるということを証明して欲しい」
噛み締めながらブログを書いている。
高知駅。ボクはこの駅周辺のデザイン好きだった。
一方でディテールではなく、そのものの持つ大きさや提供する体験で十分な威力をもっているなーと思ったのが角島大橋。片道車で3時間かけて行っただけのかいはあった。
(たべちゃん、車ありがとう!)
久しぶりに大きな橋で感動した@角島大橋
悪き面で一番に感じたのは、まちとの「シンクロ率」「面的な連続性」といったものの低さ。
メディアでは取りあげられない(表現できない)面的な広がりとそのシンクロ率や連続性といった部分でがっかりさせられる部分も多かった。
それは設計者個人の問題ではない場合が大抵であり、
公共事業の枠組みそのもの自体に問題があることは明白である。
しかし、その枠組みに文句を言っていてもことは良い方向に進まない。
上海でも感じたことであるが、点的開発が行われた結果、それが周囲に波及していく、そんな再開発・設計の強度が求められるということを再認識した。
それって物凄い難しいことで、きっと稀なケースでしか実現できないものであると個人的には思っている。(モノの質が重要という先の意見に矛盾するように聞こえるやもしれないけど)
でも、実際に最近はそのことに気づいて様々なアトリエで奉仕的にまちづくり、ソフトの部分までも含めたモノづくりが行われている。(フットワークが軽いところで)
そういった状況に学生の内に身近に触れ、思考を深めてこれたのは非常に良かった。
一方で、社会を変えるにはいつまでもそれを奉仕的に、ゲリラ的にやっている訳にはいかない。
パッケージ化し、それを仕事として職能として売り込んでいく。
売るというと、お金儲けのように聞こえるがそうではない。
企業として信頼され、より多くの仕事をし、社会を変えていくには、商売を行わなければならないと思う。
先日、先輩との会話の中であったこと。
「コミュニティー」「まちづくり」「ブランディング」「景観」…
全部、善意に満ちた生温い捉えられ方をされている。
それらが、善意的なことには変わりない。
でも、いつまでも慈善事業的にやっていては決してサスティナブルではない(個人としても企業としても)し、職能としても確立していかない。
ひいては日本は一向に変わらないのであろうと思う。
研究室、バイト先、インターン先…色んな場所、色んな人々から6年間で学んだこと。
それは善意に満ちた思想である。
(…このままだと、善意に見せかけた自己満足とも言えるかもしれない)
その善意に満ちた思想をどのようにビジネス化し、日本を変えていくか。
大きな命題だなと思う。
最近、経済というか社会の成立ち、動きについて興味を持ってきている。
(上海の先輩も同じようなことをおもって投資ファンドで働いているのかな)
是非、その辺りを議論する場を持ちたいなと思う。議論する友を探したい。
その前に勉強しなきゃなと思う。
そういう意味では
4月2日より働く大きな組織でもがくということは非常に良い経験になると確信している。
20世紀、21世紀前半は思考停止状態、思想なくて機械的に行われてきたことが多くある。
ビジネスとしての公共事業・モノづくり・地域まちづくり…なかなか難しい。
でも、思想の土台はこの6年間で十分に固まったように思う。
「風景」という思想の基で、再度公共事業やモノづくり、地域まちづくりの方法論を再構築・ビジネス化し、サスティナブルな日本再生を実現していく。
これが、4月2日からの目標である。
尊敬する坂本龍馬と同じ桂浜でそんな想いを馳せたのである。
(本当はブログで思考を書きなぐりながら思ったんだけど。笑)
桂浜にて想いを馳せる
挿入的に流れをあまり考えずに書けば、
善意ではなくビジネスとして銭湯というものをリデザインできないか。
これ、この旅で結構思ったこと。
旅行者のライフラインとしては非常に重要な役割を果たしてくれていたのもある、この度で各地の地元密着な銭湯にいくつか行って毎回おばちゃんやおじちゃんと話していて色々と伺った。やっぱり地方でさえ、どんどん銭湯はなくなっていっている一方で、大型スパのようなお店は大繁盛らしい。
銭湯文化を核にした地域ブランディング。
えびす湯(高松駅からちょっと離れた所)
最近は、女子銭湯部なるものを流行っているらしい。
ここで行ったえびす湯さんも紹介されています。
http://setouchikurashi.jp/2011/06/02/post_74/
そこでしかない何かを付加する。
人と人の交流アゴラのような知的交流の場・イベント、ここでしか体験できない銭湯の体験、地域に残っている銭湯をトータルに考えて周遊のような仕組みをつくる(温泉街では良くやっているやつをWEEKLYな感じに転用するとか)…
色々とアイデアは浮かぶけどなかなか実行に移すにはハードルが高いのだろう。
経済的な観点が一番の問題。
そういう意味では、直島に新しく出来た「I♡湯」はおもしろかったと思う。
アート、直島という地、ゲストハウスが大半という宿泊環境…
完璧に的を得た事例だと思う。
I♡湯
3. そして卒業式の日@吉見町
3月26日、長いようで短かった6年間の大学生活を卒業した。
その日の朝の出来事。
10年以上前から計画がのろのろと進んでいたバイパスがまちに完成したのである。
卒業式に向かう為に朝、駅に向かってバイクで走っているとバイパスが開通していた。
そこで感じた不思議な感覚というか違和感
Facebookや打上げパーティーの時に先生や数名の研究室のメンバーには話したが改めて書き記しておく。
これまで駅に向かう通学路は、比企丘陵の最東部分である吉見丘陵の裾野をうねうねと走っていく道であった。
通学路の風景(夏)
四季折々に山(丘)の木々の色は移ろい、その印象は変化する。
風が吹けば木々のざわめきを感じ、自然の匂いを感じる。
山からの水が流れてくる水路となっている谷になった部分は
バイクで走り抜けると一瞬空気が冷やっと感じられる。
所々、梅や桜の華やかな花が咲く。
照明は疎らで、夜は星空が綺麗に見える。
多雨があれば、沈んでしまう通学路の沈下橋。
自然との密接な感覚を与えてくれた。
沈下橋から丘陵を見る(秋)
本当に“豊かな”通学路だったと思う。
吉見で過ごした17〜18年くらいの時間は、本当に“豊かな”原風景を与えてくれたと思う。
駅までのバイクで走る、15分。
バイクに乗れないと帰れないので苦労もさせられたけど、
自分の大切な身体性を回復してくれる大切な時間だったと思う。
東京と地元吉見を行き来していたことが、結構重要なことだったように思う。
4月から東京、或は別の都市に住むのかもしれない。
なんとか身体性は失わず、変に染まらずに生きていきたいなと思う。
脱線したが、この道はもうあまり使われなくなっていくのだろう。
下手をすれば、管理の問題で沈下橋は近い将来なくなってしまうかもしれない。
バイパス道路を通った時にはこれらの感覚は全く生まれなかった。
田んぼを切り裂くように真っ直ぐ直線に整備された幅の広い道路。
確かに便利ではあるが、なにかが失われている感覚があった。
少し離れた所に走る、旧道が体験する存在から見られる画になってしまったよう。
これからこの道を通学する子供達には、
自分が体験してきたような自然との関係は構築されるのだろうか。
きっと答えは“否”で、原風景は違ったものになるのだろう。
“豊か”という言葉は定義が難しい。
それに便利なことが“豊かだ”という感覚も全否定は出来ない。
かくいう自分もバイパス道路が早く完成し、駅まで12〜13分で行けるようになったらと思っていた。
でも、その2〜3分の利便性の為に支払う代償はあまりにも大きすぎるし
風景体験の貧しさは許容し難いとさえ感じる。
旅で感じてきたことも全て同じである。
久しぶりのブログで長々書いてしまったが、
ここ一ヶ月少々の体験からくる問題意識のブラッシュアップをかなり整理できた。
(旅の写真、面白かった話などは殆どアップできてないけどそれは別の機会で)
“豊かさ”とはなにか。
我々日本人は何に価値を見出し、
これからの生き方とそれらから醸し出される風景を創っていくのか。
そしてそれらを考えていくと同時に前半で述べたように、
「風景」という思想の基で、再度公共事業やモノづくり、地域まちづくりの方法論を再構築・ビジネス化し、サスティナブルな日本再生を実現していく。
これがこれからの課題である(自分にとっても、社会にとっても)。
ありきたりなことかもしれないけど、自分の体験から紡ぎ出した言葉でブログにまとめられたのは良かった。
(書き出してから既に何時間か経ってしまった…)
この記事を見てくれて共感する部分があった人がいたならば是非議論しましょう。
結構最近の問題意識がまとまった感じはしています。
以上、4月2日から社会でどんどんアウトプットしていくぞー!!
20111125
離散的な思考の書き殴り と 「Groundscape」に対する自分なりの解釈
11/24 東京ミッドタウンの d-Labo なる場所で、LIGHTDESIGNの東海林さんの講演を聴いてきた。
連続サロンで「素材・色彩・照明」という企画を考えて、以前に展覧会のお手伝いの折にお酒の席で4〜5時間かお話するも、ご講演のお願いをキッパリ断られた。
それ以来、いつか個人的にでもどこかで講演会に行こう思っていたので念願かなった感じ。
サロンでお話うかがったお二方同様に、やっぱり「◯◯バカ」と自称されるくらいのマニアックさ。物事の本質的なことを考えられていて、ものすごく刺激だった。
照明デザイナーと聞くと、アーティスティックなイメージが先行してしまいがち。
でも、やっぱり話をうかがってみないと分かりませんね。
これも、全部思い出して記述し出したら途方ないし、正確に記述する意味はなく聞いて思ったこと考えたことを記録に残したいので内容+それだけ書こうと思う。
ーーお話内容ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高度経済成長期に現れた蛍光灯が生み出した世界は「幸せのシンボル」だった。
それ自体は悪いことではなく、明るいという状況が新しい時間を生み出し豊かさを増す助けとなったことは間違いない。
しかし、先の3.11でその価値観が崩壊した。
ここで「暗くてもいい」「明るくしているのは恥だ」という価値観が出てくる。
しかし、この「0」「1」的な思考が生み出すのはあまり好ましい状況ではない。
恐らく人々はじきに忘れて戻ってしまうかもしれないし、「豊かでない暗さ」というものが生まれてもいる。
“「必要な光」「無駄な光」を見極める力が重要である。”
”照明とは人間の幸せの為に工夫されるべきである。”
“ 照明が本来持つ力は、単に空間を照らすことだけではなく、人の心を明るくすることだと思うのです。”
全て東海林さんの言葉。
NHK BSの「旅のチカラ」の企画で行かれたパプアニューギニアの電気のない島での体験話。長老にこの島にとって照明とは何かと聞いたそう。
「家々に照明がともると安心できる。今日も一日島民が無事に行きていると確認できるか。照明とは“命のシンボル”である」
これらを受けての東海林さんの照明に対する解釈。
2.522.880.000秒(人の一生)
私たちの命(人生)を温めてくれる光であるかどうか。照明とは人生の時間をつくるもの。
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明るいか暗いかの二者択一の状況を打破し、「美暗(びあん)」を人々に伝えていく。
本当に豊かな光のあり方についての考えを世の中に共有されていこうとしている。
講演の内容的にはつまりそういうことだった。
でも、1番気になったのは冒頭のお話にあった「人」と「光」/「地域」と「光」の関係について。
住まう地域によって、我々の培ってきた光との関係は違う。
つまり光にもコンテクストがあるということだと思う。
地域固有の「人」と「光」の関係性が存在する、そういう視点で地域全体をデザインする。非常に興味深い。
もちろん都会においてはそれは成立しないかもしれない、固有性があまりに埋没しているし、照明で溢れ変えているから。その為に「全体のデザインコンセプト」の適切な設定が重要になってくるんだと思う。
そういう視点をもって、地域ことを考え出すと様々なアイデアが湧いてくる。
特に、地方都市においては大きなヒントになるんではないかと思う。地域の本来持っていた風景再生にも一歩近づく、システムと一体化した照明の地域総合計画(空間的・時間的)なんてのも考えられそうである。
これまで「照明」は安全の為に明るくする、或は意匠的・演出的なイメージがどうしても強かった。というか、社会に出ればそういう考え方がまだまだ多数であると思う。
東海林さんのおっしゃるように、照明が本来持つ力は、単に空間を照らすことだけではなく、人の心を明るくすることであるという考え方はまだ少数派だろう。
4月から社会にでれば、公共空間の設計の現場で働くことになると思う。
そこでは行政やなんやと打合せが発生してきて、その際はやっぱり安全性って言葉が強く強くのしかかってくると思う。或は経済性。
しかし、それは過剰な安全性を保証するためのモノであることが多い。
これは照明だけでない、恐らく構造もそう。色の決定プロセスも不明瞭な部分が多い。
それらのプレッシャーと粘強く戦いながら、利用者が豊かな空間体験をしてもらえる空間を創りたい。それが、地域の風景を支えるものとなって欲しい。
その為には、照明でいえば「暗くても良い事例」を多く見せて説得すること、実際に実験をしてを納得してもらうこと等々を使いながら上手く事業パートナーを例外を許容する方向へと導いていくテクニックも必要になってくるだろうと思う。
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最後に講演の後に思ったこと。
7月のサロンの内容にフラッシュバックした。
ディテールについて。
「光」「素材」「色」に対しての基礎的な知識不足は否めず、それは素直に勉強したいと思う。
全て門外漢ではあるが、なんとなくそれらの関係性みたいなものについての仮説というか感覚的なものをもっている。それらは旅等々で見てきたまちや建築、土木、ランドスケープなどの事例などから形成されているなんとなくのものだろう。
なんとなくであるが、そういった複数の視点のバタンスをとったり、関係性をみるといった意味では、大学で学んできた「風景」と言う切口で物事を読解く力を養ったことは非常に役立つように思うのである。そして自分はそういった部分が秀でているようにも思う。カタチに落とすところが(実践が弱い)のは自分でも分かっている。
もちろん何かのスペシャリストにならねばならないのかもしれないけど、それは職人的なイメージよりもバランサーとしてのイメージが強い。
そういったスペシャリスト・職能があり得るのかはよく分からないし成立するのかもよく分からない。この辺りは常々悩んでいる部分、来年からどうするか。
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文がそれた。
ディテールからモノやコトやシステムに逆照射させていく思考ももっとされても良いのではないか。その逆の思考ももちろん重要なのは言うまでもない。
その思考の両方向性と重きをどこに置くのかの判断/バランス感覚が重要。
そういった意味で、デザインコンセプトを見極める力はものすごく必要になる。
それは、風景と真摯に向き合っている、考えている者だからそこできることであるように思う。
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あれこれ考えていてふと、内藤先生の創られた「GROUNDSCAPE」という言葉に対する自分なりの解釈がすっと体に入ってきた。
「Ground」という言葉が持つ意味が具象的な意味を越えて、ものすごい広がりをもっていることに今更ながら気づいたというのが正直なところ。
「Ground」=大地、土地、基盤等々といった意味が主意である。
これを「G-round-scape」と分解してみる。
「G」という接頭文字
これには、例えばGravity、Geneだとか地球や人間といったものの根源と関わってくる様な言葉が多い。(ちょっと無理があるかも)
「round」
これには「輪状に何かを取り巻くイメージ」或は「それらの関係性やバランスが図られた状態(丸みを帯びた整ったような)」な意味があると個人的には解釈できる。
そうやって考えてみると、人々の生活や自然の営みを寡黙に支え、良好な関係性、バランスを図ってくれているのは「Ground」に他ならない。
そして、それらから醸出されている状態(景=Scape)が「Groundscape」である。
すなわち、自分が言っている「風景」という概念の英訳は「Landscape」ではなく、「Groundscape」だ。今後はそうやって言おうと思う。
そんなこんな考えていて、グランドスケープ宣言を読返してみた。
「おそらく篠原修の目には、傷だらけになったGroundがはっきり見えている。だからGroundを蘇生させるべきだと、と呼び掛ける。そこに人の心をつなぎ止めようとする。つなぎ止めるために、風景の意味をGroundまで立ち戻って掘り起こそうとする。Groundを全体としてとらえ直すこと、Groundに語りかけること、そしてGroundが囁きかける微かな言葉に耳を傾けること。」
「Groundscapeは、風景が廃虚化していくことへのアンチテーゼにほかならない。」
グラウンドスケープ宣言より抜粋
ちゃんと先生は言ってますね。
明確にではないけど本の冒頭部は内藤先生の「Ground」に対する解釈の文が多分に載っている。
自分の解釈は少しずれるかもしれないけど本質的には同じだと思った。
自分なりに体にすっと入ってくる解釈が得られてよかった。
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文章が頭の中を象徴しているように離散的で繋がりを見出せなかった。
けど、この一見離散的に見える思考はきっと繋がってる。
何年か後に見返した時に繋がって上手く説明できればいいかなと思う。
今、修論でやっている橋の「空間性」の話も同じ。
利用者の体験から橋のあり方を逆照射させていく考え方の試行。
もちろん橋としてのバランスや経済性やなんや種々のバランスをみるのが実務では前提の考え方であるのは理解している。
しかし、橋梁空間の利用者の体験の豊かさから逆算していくことは新しい設計の視点を与えてくれると思う。これは利用者の意見をきくとかそういったレベルの話ではなく、もっと根源的な話。
そういった別の視点からの刺激が、エンジニアリングの可能性を誘発するのではないか。
一方で、アカデミックの場ではそういったモノづくりについての研究は減っているように思う。特に橋の研究。ある時期で殆どもう終わりですってごとく研究がストップしているように思われる。
まだまだ、研究すべきことは多いなと思う。
特にディテールと環境をも含む全体のホリスティックな1つの複雑系と人間の感性との関係性。
そして、ディテールこそが風景に繋がっていく重要な部分を担っていて、遠回りのように見えて近道ではないかということ。
「Groundscape」の解釈の話とディテールの話が繋がっていないようだけれども「関係性」「バランス」といった部分で繋がっている様な気がするのです。
そんなことを学生の頭でっかちな思考の限りでは思うのです。
「Groundscape」の解釈の話とディテールの話が繋がっていないようだけれども「関係性」「バランス」といった部分で繋がっている様な気がするのです。
そんなことを学生の頭でっかちな思考の限りでは思うのです。
ぶつ切り離散的な文章。
でも頭の中を20-30%くらいだけだけど、記述しておけてよかったように思う。
まちづくりの根幹にあるもの
題名の僕なりの答え「祭」
以前、事前視察をご一緒したこともあって
GSDyでお世話になっている国交省の先輩にお誘い頂いて
11/19(土)に国交省若手有志の「景観若手の会」なる団体の方々と一緒に川越見学会に行ってきた。
生憎の雨だったが、ただただ…1日楽しかった。
3年間通っていたのにこんなにも川越のことを知らなかったのか、と痛感した一日でもあった。
通学路裏にひっそりと隠れていた旧川越織物市場
お話をうかがった場所:古い蔵の改修をしたYAMAWA CLUB
市役所の荒牧さん、蔵の会の現会長の原さん(共に川越高校の大先輩)
NPO法人 川越蔵の会 HP:http://www.kuranokai.org/home.html
勉強になっていうのもあるけど、なんだろう川越に対する愛着がすごく強まった感じ。
企画して下さった先輩・朝から1日中ご案内頂いた市役所の荒牧さん・原さんをはじめとした蔵の会の皆様・川越のまちの方、全ての方々に感謝感謝です。
夜も鏡山を頂きながら…都市計画図が出てきちゃいます(笑)
みんなであれこれ議論
(写真で僕がお話している方は元土木エンジニア大野さんとお仕事されていたそう。
蔵の会のデザイナーや技術者の層の厚さといったらすごい)
(写真で僕がお話している方は元土木エンジニア大野さんとお仕事されていたそう。
蔵の会のデザイナーや技術者の層の厚さといったらすごい)
(上記2枚は先輩のFBより転載。話に夢中で写真撮ってなかった)
得た知識や1日の行程を書出すとまとまりきらないので、川越祭りと見学会を通じて考えたこと・思ったことだけまとめようと思う。
1. まちづくりの根幹にあるもの=祭り
1.1 繋がり
今回お話をうかがって驚いたのが、蔵の会や商店主の世代間のバトンの受け渡しが上手くいっているということ。郊外の大規模店舗⇄商店街の構図になる前、早期の段階でまちづくりに力を入れられたこともあって、客が来るからお店を継ごうと思われる方が多いというお話には納得であるが、それにしてもスムーズ。
この秘密は、「祭り」あると思う。
川越には有名な川越祭りがある。これは観光化されたものというよりも地元密着型なイメージを受ける(地元の方々がものすごく満喫されているイメージ)。冒頭写真にもあるように、祭りの際には地域が一体となって全員参加ぐらいの勢いである。
「祖父ー親父ー息子」三世代がしっかりと繋がりを形成できるキッカケになっているのだと思う。コミュニケーションのキッカケである。
また、これは世代間だけでなく、地域の人々の間の繋がりをもつくり出す原動力になっている。
お話を伺う限りではあるが、川越の場合は「旧住民」⇄「新住民」の対立もあまりないという。祭りの際にも、外国人の親子が祭りに積極的に参加している姿がみられた。
そういうことかと納得。祭りという1つのイベントが地域の人々を繋ぐキッカケにもなっているのである。
服部資料館のご主人服部さんからうかがった話。
「昔は川越祭りは、山車の用意・運行は町人の人々が、山車の上のお囃子は農民の人々がしていた。町人(商人)のお客さんは、農民の人々。町人は儲かったお金でお祭りを運営する。演奏をしてもらう為に、農民にお金を払う。山車の上にのってもらうことでお客様である農民をたてる。農民はまた町でお金を落とす。」
正確な言葉をひかえていないのだけど、そんな感じ。
ここから分かったことに、祭りというものが「まちの経済の循環」「町人と農民の間の繋がりを良好に保つ」ことにも寄与していたということ。
これってすごく、すごく学ぶことが多い。
外部資本がある今のまちづくりにそのまま活かせる訳ではないけど、これからのまちづくりにヒントを与えてくれるお話。
コンパクトシティー + 農村型 のネットワーク式の都市モデルを佐藤先生のディベートの時間に発表していたけどそんなモデルに対して示唆する部分が多い。
1.2 空間的な設え
前に祭りの記事にも書いたけれど、祭りがまちの空間的な「しつらえ」さえも生み出す。川越では一番街の電線地中化に際して「山車が空に映え、美しく見えるよう」にという意図もあったそうである。
また、「電線の道路横断方向の電線を減らす」「電線をなるべく高くする」「信号機を回転式にする」などなど1年に1度の祭りの為にまちの空間的な「しつらえ」がなされている。そういったまちのシステムと結びついたハードの整備がされている空間ってすごく豊かであると思う。
1.3 まとめ
川越は特殊解っていう指摘もあるかもしれないけど、こうやって考えてみると「世代間・地域間の繋がり」「空間的な設え」といったものから、まちづくりの根幹に「祭り」がある。これは面白いなと思った。
織物市場から見た背景のマンション
(ここが整備されて使われ出すとすごい風景が生まれると思う)
(ここが整備されて使われ出すとすごい風景が生まれると思う)
2. 風景を維持し続けることの難しさ
原さんのお言葉が重かった。
「正直、蔵の修繕をする為に働いているようなもの、もう意地とかプライドでしかないですよ。」
自分の中では「風景とは、人々の生活や自然の営みが醸出すもの」と定義している。
景観という言葉は使いたくないので、風景で書く。
まさに人々の生活(ここでは商いも)が醸出しているのである。
結論からいえば、その生活や商いのシステム自体をどうにかしない限りは風景に持続は困難であると思う。
これまでは、街並を整える為に景観条例を作ってきた。それらは一定の効果を上げてまちなみを整えることに一役買ってきたことは間違いない。
蔵の会の方のお話にも、これからの川越は「外部資本の侵入」との戦いとあったように、川越のコンテクストとは全く関係ない、商業的な意図のみで成り立っているものが入ってきたらそこには風景は醸し出されるのだろうか。答えは明確にNOだと思う。
アカデミックの場でも言われていること(ウチ研究室のゼミではよく話す)で、既にまちのファサードだけ見ていてもダメで、その中である人々生活に踏み込んでいかなければ風景を維持できないのである。
生活景というのもその考え方に近いと思う。(一般的な定義はおいといて)
そういった、部分をフォローする様な、制度なりまちづくりシステムを上手く作っていかなければならないし、ある意味ではそれが studio-L でやっている「コミュニティーデザイン」であり、西村さんが言ってる地域の「自走力」だと思う。
国の制度は勉強不足で分からないけど、そういったゲリラ的な動きは既にたくさんある。
ので今更な話をしているんです。自分の思考の整理の為に書いてるので。
3. 将来的に川越に自分の蓄積を還元したいという気持ちの芽生え
これは、蔵の会の皆さんを見ていて羨ましくなったというのが本音。
自分たちのまちを心から愛して、誇らしく、楽しそうに、熱く語り合っている姿を見て嫉妬してしまった。
もちろん、自分の長く生まれ育った吉見町にも愛着はある。特に自然の豊かさに関しては素晴らしい。
しかし、高校時代に3年間川越高校に通っていて川越のまちには育ててもらったこともあって、川越を第二の故郷と思っている。だから川越に対する愛着も強い。そして今回の見学会でそれが更に強くなった。
将来的に、自分が培った知識なり技術をこのまちに還元できたら良いなと心の底から思ったというのが本音。まだ還元できるものを持っていない若造だけれども、蔵の会に入会しちゃおうと思うくらい。
無事に職を全うしたら将来は川越に住んで、まちづくりに関わりながら余生を過ごせたらいいなと思った夜だった。
なにか、大切なものを得た1日だったように思う。
長々書いてしまったけれど、ホント楽しかった。
酔っぱらって終電逃したしね。
おしまい
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