20120209

“ピリオド”ではなく“休止符”

約一ヶ月ぶりに更新。

もう1週間以上経ってしまったけれど
1月30日に修士論文の最終発表が終わった。

でも、“ピリオド”ではなく“小休符”といった感じ。
これからどうするかはしっかりと考えなければいけないなと思う。

この三年間、橋梁の「空間性」にこだわって研究をしてきた。

修論はその中でも「囲繞性」に着目して
「囲繞性に着目した橋梁空間の評価に関する研究」というタイトルでまとめた。

思い返せば、たぶん学部1年空間デザインで見た
カラトラバのバックデローダフェリペⅡ世橋が始まり。

吊材に囲まれている橋梁内部空間にインスピレーション得たんだと思う。
実際に学部4年の時に欧州の橋を見てまわった時に現地を訪れ、その感覚を実感へと高めた。


バックデローダフェリペⅡ世橋


卒論を通して、数多くの橋(特に人道橋)を見ていく中で

「囲繞性」「領域性」「行為可能性」「調和性」「触覚性」

という5つの性質についての考察を行ってきた。

今回の研究ではその中でも「囲繞性」の1つだけを取扱った。

どれくらいの囲繞感がつくれるかといった部分に着目し過ぎても陳腐だし
それを人がどのように感じるか(どのような態度を示すのか)まで踏み込んだ。

でも、難しかったというの正直なところ。
確実に示せたのは本当に米粒のようなことだけである。

でも、分からなかったという事実
人の空間に対する見方、感性は本当に複雑であること
そのことが実感として分かっただけでもいい経験だったかな。

本当は、

橋梁を周辺環境も含めた橋梁空間という系で捉えて、
人の体験から逆算して設計を行う方法論(見方)を提示したかった。

勿論、それで失敗している例も沢山ある、大阪の人道橋とかね。
でもそれをみて、ダメだダメだといって揚げ足をとるだけでは進歩ない。

それはシビックアート、景観といったバブル期のあれこれに対する反応と一緒。

構造的合理性から設計していく方法。
空間体験から設計していく方法。

その両者からの視点をもって、ケースバイケースで
バランスよく方法論を選択していく。

特に自分は後者から新しい形態を創造する可能性が大きいと感じる。
自分は後者を軸に勝負したい。

研究成果としては評価はされないのかもしれないけど
独創的な視点で研究をできたと思っているし、その部分は自分を評価してあげて良いと思う。

さて、これは論文として世に問うべきなのか。
→指導教官に学会投稿したいと言うべきなのか。
(ポスター発表(2010)[下記]はしてるが、論文としては一回も学会に出していない)



それとも、実務において世に問えばそれで良いのか。

両者かな?

しかし、色んな方々にご迷惑をおかけした、お世話になった結果なので
大切にまとめ上げ、今後に活かしていかなければならない。

1年生の時インスピレーションのきっかけをつくって下さり、
研究室に入ってからの3年間は出来の悪い自分を丁寧に指導して下さり
重要なタイミングで的確なアドバイスを下さった佐々木先生。

インスピレーションを確信へと変えて下さった
エムアンドエムデザイン事務所の仕事の数々、そしてデザイナーの大野美代子さん。

悩んでいて手が動かない自分を鼓舞して下さった研究室の先輩や同期。

色々と相談にのって下さった学外の皆様、色んな方々に本当に感謝感謝です。



少なくとも、これは一生追い続けるテーマなんだと思う。


ピリオド”ではなく“休止符”

感謝を胸に引き続き、頑張ろう。


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