「どうやって対極的なモノ・コトの手と手を取っていくか。」
Its LOVE@上海 19参Ⅲ
1ヶ月以上Blog更新できていなかったので久しぶりの更新。
2月に修士論文を書き上げて、春休みはあちこちへ旅に行ってきた。
研究室旅行が諸々の問題でなくなったからというのもあるけど、
修了の卒業旅行は、
“誰かと一緒に風景を共有する旅” ではなく、
“1人で風景を考える旅” にしたつもり。
(もちろん旅先で、友達や素敵な地元の方々に会いましたけども。実は海外への一人旅は今回が初めて。)
無理矢理つなげて考えている思考のようだけど、
恐らく繋がっていると思うので1つの記事にまとめてみたい。
1. 海外:急成長を遂げている中国
BANDからみた浦東地区@上海。最も有名で共有されている上海の風景
海外はインターンシップ中の先輩を頼って上海・西塘・杭州へ。8日間旅した。
上海と言えばこの風景が一番始めに浮かぶと思う。
その形態こそ違えど、本質はニューヨークや東京といった都市と瓜二つ。
資本主義の経済原理と人間の私利私欲、自己顕示欲がつくりあげた風景。
その一方でそれが観光資源として大衆には受け入れられ、都市のアイコンとなり
実際に巨額の金が落ちている。
河を挟んでその対岸には、OLD SHANGHAIといわれるBANDが数キロにわたって続く。
浦東地区からみたBAND@上海
この河を境界線として対比的な都市構造は独特で非常に面白いなと思った記憶がある。
“浦東地区側プロムナードから見る上海”と“BAND側から見る上海”
ここには河を挟んで数十年という時間のギャップが存在するのである。
そんなこともあって、上海のお土産に「上海百変」を買ってきた。
新華書城HPより
景観デザイン研究室の学生にとっては非常に便利で嬉しい本。
また、今回印象的だったのは
「DESIGN」や「CREATIVE」思考で都市再生を図っている地区、事例の多さ。
“19参Ⅲ”や“REDTOWN”といったものがそれである。
19参Ⅲ
RED TOWN
「過去」と「現在」を繋ぐ。「DESIGN」や「CREATIVE」といったキーワードが
何年も前から日本でも叫ばれ、実験的に行われてきている。
しかし、中国の対応の「スピード」や「量」は凄まじいなと感心するとともに
その「質」については都市全体にもいえることだけれども疑問は残った。
また、これは全世界的に言えることだけれど
「面的」にまちの「過去」と「現在」を繋いでいくことの難しさを感じた。
「点的」な再開発に終わらずに周辺地域へと波及効果を持ち得るか否か。
開発された地区の直ぐ脇はまるでベトナムのよう@19参Ⅲ屋上より
週末は、先輩と一緒に杭州と西塘へ。
ここでも感じ考えたのは、「観光」と「まち」「生活」というもののバランス関係。
どちらも観光地として有名な都市。
特に、西塘は「MIⅢ」の舞台となったことからかなりの外国人観光客が流れ込んでいた。
(かくいう自分も外国人観光客なんだけど)
キャッチフレーズは「生活都市」
確かに俗にいう生活景が残っている風景がたくさん見れて素敵な都市だった一面もある。
水路沿いには人々の生活が感じられる。色とりどりの布団や衣類が干されている。
辻にあたる場所では、かなりアナログな市が
観光客が歩き回る通路にもこん菜、珍風景
素敵な風景があちこちで散見されたけど、
どれほどの観光客がこのような風景に眼を向けこの都市のコンテクストを楽しんでいるのだろうか、疑問ではあった。
実際のこの都市は、観光地化された店店が並んでいる。
人々はそこを歩き回り日帰りで帰っていく。
MIⅢの撮影場所で写真を撮って帰っていく。
そして、極めつけはこの都市とは全くコンテクストの関係ない外国人向けのカラオケやバーの乱立。はっきり言ってこれはもう景観地区(中国は定められているそう)としては致命的なもの。
静寂は切り裂かれ、まるで新宿のような風景が広がる。
このまちのコンテクストとは関係ない店が連なる道をこのまちを歩き回るまるで亡霊のような観光客
これは、日本の観光地でも同じ悩みを感じる。
ここにはまた来たいと思えるのだろうか。
そもそも都市、場所の問題以前の問題で、「観光」という概念に対する思考の浅はかさなのかもしれない。訪れる人、或は迎え入れる人の文化度の低さなのかもしれない。
でも、その根底にはやっぱり「資本主義」といったものが横たわっている。
どうやって上手く付合っていくかが問題。
2. 国内:地方の風景 西日本巡り(研究室調査で高開訪問も含む)
国内は、常々行ってみたかった四国を中心として中日本から西に半月ぶらぶらと旅した。
旅程:東京→名古屋→三重→大阪→神戸→岡山→広島→山口→広島→しまなみ街道→愛媛→高知→香川(その前に研究室調査で徳島へ)
地方都市と山奥を交互に行き来するようなそんな旅立ったように思う。
公共交通機関と自転車での旅立ったので時間はかかったけど、その車窓で見た風景、自転車で(徒歩で)身体的に感じ取った風景は非常に貴重なものであった。
高開集落@徳島
共にしまなみ海道を100km旅した初陣だった自転車君。
内藤先生をはじめとしてGS関連のお世話になっている先生方の関わられた場所にもいくつか立寄ることも多かった。
写真ではよく拝見していたものも、実際にその地を訪れ歩き回ると比べ物にならない情報量を得ることができる、それは良き面も悪き面も。
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良き面では、やっぱりディテールにその仕事の努力や痕跡が見えたところ。
そしてやはりその「ディテール」が「風景」を決める重要な要素であると再度心に思えたところである。
住吉の入江のディテール
閑谷学校の石積み
「モノをつくることで社会がよくなるということを証明して欲しい」
噛み締めながらブログを書いている。
高知駅。ボクはこの駅周辺のデザイン好きだった。
一方でディテールではなく、そのものの持つ大きさや提供する体験で十分な威力をもっているなーと思ったのが角島大橋。片道車で3時間かけて行っただけのかいはあった。
(たべちゃん、車ありがとう!)
久しぶりに大きな橋で感動した@角島大橋
悪き面で一番に感じたのは、まちとの「シンクロ率」「面的な連続性」といったものの低さ。
メディアでは取りあげられない(表現できない)面的な広がりとそのシンクロ率や連続性といった部分でがっかりさせられる部分も多かった。
それは設計者個人の問題ではない場合が大抵であり、
公共事業の枠組みそのもの自体に問題があることは明白である。
しかし、その枠組みに文句を言っていてもことは良い方向に進まない。
上海でも感じたことであるが、点的開発が行われた結果、それが周囲に波及していく、そんな再開発・設計の強度が求められるということを再認識した。
それって物凄い難しいことで、きっと稀なケースでしか実現できないものであると個人的には思っている。(モノの質が重要という先の意見に矛盾するように聞こえるやもしれないけど)
でも、実際に最近はそのことに気づいて様々なアトリエで奉仕的にまちづくり、ソフトの部分までも含めたモノづくりが行われている。(フットワークが軽いところで)
そういった状況に学生の内に身近に触れ、思考を深めてこれたのは非常に良かった。
一方で、社会を変えるにはいつまでもそれを奉仕的に、ゲリラ的にやっている訳にはいかない。
パッケージ化し、それを仕事として職能として売り込んでいく。
売るというと、お金儲けのように聞こえるがそうではない。
企業として信頼され、より多くの仕事をし、社会を変えていくには、商売を行わなければならないと思う。
先日、先輩との会話の中であったこと。
「コミュニティー」「まちづくり」「ブランディング」「景観」…
全部、善意に満ちた生温い捉えられ方をされている。
それらが、善意的なことには変わりない。
でも、いつまでも慈善事業的にやっていては決してサスティナブルではない(個人としても企業としても)し、職能としても確立していかない。
ひいては日本は一向に変わらないのであろうと思う。
研究室、バイト先、インターン先…色んな場所、色んな人々から6年間で学んだこと。
それは善意に満ちた思想である。
(…このままだと、善意に見せかけた自己満足とも言えるかもしれない)
その善意に満ちた思想をどのようにビジネス化し、日本を変えていくか。
大きな命題だなと思う。
最近、経済というか社会の成立ち、動きについて興味を持ってきている。
(上海の先輩も同じようなことをおもって投資ファンドで働いているのかな)
是非、その辺りを議論する場を持ちたいなと思う。議論する友を探したい。
その前に勉強しなきゃなと思う。
そういう意味では
4月2日より働く大きな組織でもがくということは非常に良い経験になると確信している。
20世紀、21世紀前半は思考停止状態、思想なくて機械的に行われてきたことが多くある。
ビジネスとしての公共事業・モノづくり・地域まちづくり…なかなか難しい。
でも、思想の土台はこの6年間で十分に固まったように思う。
「風景」という思想の基で、再度公共事業やモノづくり、地域まちづくりの方法論を再構築・ビジネス化し、サスティナブルな日本再生を実現していく。
これが、4月2日からの目標である。
尊敬する坂本龍馬と同じ桂浜でそんな想いを馳せたのである。
(本当はブログで思考を書きなぐりながら思ったんだけど。笑)
桂浜にて想いを馳せる
挿入的に流れをあまり考えずに書けば、
善意ではなくビジネスとして銭湯というものをリデザインできないか。
これ、この旅で結構思ったこと。
旅行者のライフラインとしては非常に重要な役割を果たしてくれていたのもある、この度で各地の地元密着な銭湯にいくつか行って毎回おばちゃんやおじちゃんと話していて色々と伺った。やっぱり地方でさえ、どんどん銭湯はなくなっていっている一方で、大型スパのようなお店は大繁盛らしい。
銭湯文化を核にした地域ブランディング。
えびす湯(高松駅からちょっと離れた所)
最近は、女子銭湯部なるものを流行っているらしい。
ここで行ったえびす湯さんも紹介されています。
http://setouchikurashi.jp/2011/06/02/post_74/
そこでしかない何かを付加する。
人と人の交流アゴラのような知的交流の場・イベント、ここでしか体験できない銭湯の体験、地域に残っている銭湯をトータルに考えて周遊のような仕組みをつくる(温泉街では良くやっているやつをWEEKLYな感じに転用するとか)…
色々とアイデアは浮かぶけどなかなか実行に移すにはハードルが高いのだろう。
経済的な観点が一番の問題。
そういう意味では、直島に新しく出来た「I♡湯」はおもしろかったと思う。
アート、直島という地、ゲストハウスが大半という宿泊環境…
完璧に的を得た事例だと思う。
I♡湯
3. そして卒業式の日@吉見町
3月26日、長いようで短かった6年間の大学生活を卒業した。
その日の朝の出来事。
10年以上前から計画がのろのろと進んでいたバイパスがまちに完成したのである。
卒業式に向かう為に朝、駅に向かってバイクで走っているとバイパスが開通していた。
そこで感じた不思議な感覚というか違和感
Facebookや打上げパーティーの時に先生や数名の研究室のメンバーには話したが改めて書き記しておく。
これまで駅に向かう通学路は、比企丘陵の最東部分である吉見丘陵の裾野をうねうねと走っていく道であった。
通学路の風景(夏)
四季折々に山(丘)の木々の色は移ろい、その印象は変化する。
風が吹けば木々のざわめきを感じ、自然の匂いを感じる。
山からの水が流れてくる水路となっている谷になった部分は
バイクで走り抜けると一瞬空気が冷やっと感じられる。
所々、梅や桜の華やかな花が咲く。
照明は疎らで、夜は星空が綺麗に見える。
多雨があれば、沈んでしまう通学路の沈下橋。
自然との密接な感覚を与えてくれた。
沈下橋から丘陵を見る(秋)
本当に“豊かな”通学路だったと思う。
吉見で過ごした17〜18年くらいの時間は、本当に“豊かな”原風景を与えてくれたと思う。
駅までのバイクで走る、15分。
バイクに乗れないと帰れないので苦労もさせられたけど、
自分の大切な身体性を回復してくれる大切な時間だったと思う。
東京と地元吉見を行き来していたことが、結構重要なことだったように思う。
4月から東京、或は別の都市に住むのかもしれない。
なんとか身体性は失わず、変に染まらずに生きていきたいなと思う。
脱線したが、この道はもうあまり使われなくなっていくのだろう。
下手をすれば、管理の問題で沈下橋は近い将来なくなってしまうかもしれない。
バイパス道路を通った時にはこれらの感覚は全く生まれなかった。
田んぼを切り裂くように真っ直ぐ直線に整備された幅の広い道路。
確かに便利ではあるが、なにかが失われている感覚があった。
少し離れた所に走る、旧道が体験する存在から見られる画になってしまったよう。
これからこの道を通学する子供達には、
自分が体験してきたような自然との関係は構築されるのだろうか。
きっと答えは“否”で、原風景は違ったものになるのだろう。
“豊か”という言葉は定義が難しい。
それに便利なことが“豊かだ”という感覚も全否定は出来ない。
かくいう自分もバイパス道路が早く完成し、駅まで12〜13分で行けるようになったらと思っていた。
でも、その2〜3分の利便性の為に支払う代償はあまりにも大きすぎるし
風景体験の貧しさは許容し難いとさえ感じる。
旅で感じてきたことも全て同じである。
久しぶりのブログで長々書いてしまったが、
ここ一ヶ月少々の体験からくる問題意識のブラッシュアップをかなり整理できた。
(旅の写真、面白かった話などは殆どアップできてないけどそれは別の機会で)
“豊かさ”とはなにか。
我々日本人は何に価値を見出し、
これからの生き方とそれらから醸し出される風景を創っていくのか。
そしてそれらを考えていくと同時に前半で述べたように、
「風景」という思想の基で、再度公共事業やモノづくり、地域まちづくりの方法論を再構築・ビジネス化し、サスティナブルな日本再生を実現していく。
これがこれからの課題である(自分にとっても、社会にとっても)。
ありきたりなことかもしれないけど、自分の体験から紡ぎ出した言葉でブログにまとめられたのは良かった。
(書き出してから既に何時間か経ってしまった…)
この記事を見てくれて共感する部分があった人がいたならば是非議論しましょう。
結構最近の問題意識がまとまった感じはしています。
以上、4月2日から社会でどんどんアウトプットしていくぞー!!
ご卒業おめでとうございます。善意があればひどい風景も簡単に非難できない、というのもありますよね。徳島では、棚田で有名な上勝町の近くに、アイストップにどーんとLEDの看板がおいてあったり、擁壁に落書きしたり。高開でも防火水槽に石積みに模した安っぽい植石を貼り付けたり。ちょっと考えてみればひどいものだと分かるはずなのに、指摘する人がいない。難しいですね。
ReplyDeleteありがとう。遂に卒業してしまいました。
Deleteその通りだね。善意の有無にかかわらず、風景はあるものであり、人や自然の行為が基となって立ち現れるものとすれば全て間違いはないわけだ(戦争とかは別として)。だから東京の風景だって簡単には批判できない。もちろん資本主義にのっとられ、何事にも無関心な人間がうごめいているだけなら批判はできる。でも一方で、市民は総体としては聡明であり、なんらかの欲求の結果としての東京の風景なような気がしています。だから東京は東京でいいと思うんだよね。
でも、特に文化的景観は難しいよね。文化度の低い日本人が文化的景観を維持できるのか。教育から見直さなきゃならんよね。また、大きな意味で資本主義の影響を受けている訳だから、その枠組みは国家単位で考えていかないとローカルのみでなんとかなる話ではないと思う。
来年のゼミの重点課題のキーワードに「高開」とあったね笑。がんばってよ!
本間がこんど飲みいこうと行ってたからまた近いうちにそのあたりも飲みながら話せるといいね!
コメントに対するリプライではないのだけど、高知県のアンパンマンミュージアムの近くの川沿いの石積みの風景は綺麗やったぞ!あとで写真おくるよ◎