20111125

まちづくりの根幹にあるもの


題名の僕なりの答え「祭」


以前、事前視察をご一緒したこともあって
GSDyでお世話になっている国交省の先輩にお誘い頂いて
11/19(土)に国交省若手有志の「景観若手の会」なる団体の方々と一緒に川越見学会に行ってきた。

生憎の雨だったが、ただただ…1日楽しかった。

3年間通っていたのにこんなにも川越のことを知らなかったのか、と痛感した一日でもあった。


通学路裏にひっそりと隠れていた旧川越織物市場

お話をうかがった場所:古い蔵の改修をしたYAMAWA CLUB

市役所の荒牧さん、蔵の会の現会長の原さん(共に川越高校の大先輩)

NPO法人 川越蔵の会 HP:http://www.kuranokai.org/home.html



勉強になっていうのもあるけど、なんだろう川越に対する愛着がすごく強まった感じ。

企画して下さった先輩・朝から1日中ご案内頂いた市役所の荒牧さん・原さんをはじめとした蔵の会の皆様・川越のまちの方、全ての方々に感謝感謝です。



 夜も鏡山を頂きながら…都市計画図が出てきちゃいます(笑)

 みんなであれこれ議論
(写真で僕がお話している方は元土木エンジニア大野さんとお仕事されていたそう。
蔵の会のデザイナーや技術者の層の厚さといったらすごい

(上記2枚は先輩のFBより転載。話に夢中で写真撮ってなかった)


得た知識や1日の行程を書出すとまとまりきらないので、川越祭りと見学会を通じて考えたこと・思ったことだけまとめようと思う。



1. まちづくりの根幹にあるもの=祭り

1.1 繋がり
今回お話をうかがって驚いたのが、蔵の会や商店主の世代間のバトンの受け渡しが上手くいっているということ。郊外の大規模店舗⇄商店街の構図になる前、早期の段階でまちづくりに力を入れられたこともあって、客が来るからお店を継ごうと思われる方が多いというお話には納得であるが、それにしてもスムーズ。

この秘密は、「祭り」あると思う。

川越には有名な川越祭りがある。これは観光化されたものというよりも地元密着型なイメージを受ける(地元の方々がものすごく満喫されているイメージ)。冒頭写真にもあるように、祭りの際には地域が一体となって全員参加ぐらいの勢いである。
「祖父ー親父ー息子」三世代がしっかりと繋がりを形成できるキッカケになっているのだと思う。コミュニケーションのキッカケである。

また、これは世代間だけでなく、地域の人々の間の繋がりをもつくり出す原動力になっている。

お話を伺う限りではあるが、川越の場合は「旧住民」⇄「新住民」の対立もあまりないという。祭りの際にも、外国人の親子が祭りに積極的に参加している姿がみられた。
そういうことかと納得。祭りという1つのイベントが地域の人々を繋ぐキッカケにもなっているのである。

服部資料館のご主人服部さんからうかがった話。

「昔は川越祭りは、山車の用意・運行は町人の人々が、山車の上のお囃子は農民の人々がしていた。町人(商人)のお客さんは、農民の人々。町人は儲かったお金でお祭りを運営する。演奏をしてもらう為に、農民にお金を払う。山車の上にのってもらうことでお客様である農民をたてる。農民はまた町でお金を落とす。」

正確な言葉をひかえていないのだけど、そんな感じ。

ここから分かったことに、祭りというものが「まちの経済の循環」「町人と農民の間の繋がりを良好に保つ」ことにも寄与していたということ。

これってすごく、すごく学ぶことが多い。
外部資本がある今のまちづくりにそのまま活かせる訳ではないけど、これからのまちづくりにヒントを与えてくれるお話。

コンパクトシティー + 農村型 のネットワーク式の都市モデルを佐藤先生のディベートの時間に発表していたけどそんなモデルに対して示唆する部分が多い。


1.2 空間的な設え
前に祭りの記事にも書いたけれど、祭りがまちの空間的な「しつらえ」さえも生み出す。川越では一番街の電線地中化に際して「山車が空に映え、美しく見えるよう」にという意図もあったそうである。
また、「電線の道路横断方向の電線を減らす」「電線をなるべく高くする」「信号機を回転式にする」などなど1年に1度の祭りの為にまちの空間的な「しつらえ」がなされている。そういったまちのシステムと結びついたハードの整備がされている空間ってすごく豊かであると思う。


1.3 まとめ
川越は特殊解っていう指摘もあるかもしれないけど、こうやって考えてみると「世代間・地域間の繋がり」「空間的な設え」といったものから、まちづくりの根幹に「祭り」がある。これは面白いなと思った。


織物市場から見た背景のマンション
(ここが整備されて使われ出すとすごい風景が生まれると思う)


2. 風景を維持し続けることの難しさ

原さんのお言葉が重かった。

「正直、蔵の修繕をする為に働いているようなもの、もう意地とかプライドでしかないですよ。」

自分の中では「風景とは、人々の生活や自然の営みが醸出すもの」と定義している。
景観という言葉は使いたくないので、風景で書く。

そう、ただあるように思える風景は住まう人々の努力でなりたっているのである。
まさに人々の生活(ここでは商いも)が醸出しているのである。

結論からいえば、その生活や商いのシステム自体をどうにかしない限りは風景に持続は困難であると思う。

これまでは、街並を整える為に景観条例を作ってきた。それらは一定の効果を上げてまちなみを整えることに一役買ってきたことは間違いない。

蔵の会の方のお話にも、これからの川越は「外部資本の侵入」との戦いとあったように、川越のコンテクストとは全く関係ない、商業的な意図のみで成り立っているものが入ってきたらそこには風景は醸し出されるのだろうか。答えは明確にNOだと思う。

アカデミックの場でも言われていること(ウチ研究室のゼミではよく話す)で、既にまちのファサードだけ見ていてもダメで、その中である人々生活に踏み込んでいかなければ風景を維持できないのである。

生活景というのもその考え方に近いと思う。(一般的な定義はおいといて)

そういった、部分をフォローする様な、制度なりまちづくりシステムを上手く作っていかなければならないし、ある意味ではそれが studio-L でやっている「コミュニティーデザイン」であり、西村さんが言ってる地域の「自走力」だと思う。

国の制度は勉強不足で分からないけど、そういったゲリラ的な動きは既にたくさんある。
ので今更な話をしているんです。自分の思考の整理の為に書いてるので。



3. 将来的に川越に自分の蓄積を還元したいという気持ちの芽生え


 これは、蔵の会の皆さんを見ていて羨ましくなったというのが本音。
自分たちのまちを心から愛して、誇らしく、楽しそうに、熱く語り合っている姿を見て嫉妬してしまった。

もちろん、自分の長く生まれ育った吉見町にも愛着はある。特に自然の豊かさに関しては素晴らしい。

しかし、高校時代に3年間川越高校に通っていて川越のまちには育ててもらったこともあって、川越を第二の故郷と思っている。だから川越に対する愛着も強い。そして今回の見学会でそれが更に強くなった。

将来的に、自分が培った知識なり技術をこのまちに還元できたら良いなと心の底から思ったというのが本音。まだ還元できるものを持っていない若造だけれども、蔵の会に入会しちゃおうと思うくらい。

無事に職を全うしたら将来は川越に住んで、まちづくりに関わりながら余生を過ごせたらいいなと思った夜だった。

なにか、大切なものを得た1日だったように思う。


長々書いてしまったけれど、ホント楽しかった。
酔っぱらって終電逃したしね。

おしまい



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