[展示会公式パンフレット]
昨日、遂にメタボリズム展にいってきた。
メタボリズムシンポジウム、別件でここ数週間で何度となく六本木に行くも、「ボリューやばい!」という周囲の人々の感想によって形成された固定概念に阻まれてなかなか足が向かなかった。
しかし、行ってみたら案外すんなり。
夕方から閉館までの時間で大体しっかりと観切ることができた。
情報に負けては惑わされてはダメ、変な固定観念はダメだと再認識、反省。
内容は満足のいくものだったし、もう一度行きたいなと思える良い企画展だった。
さすが森美術館!シンポジウムは色々不満はあっただったけど展示はコルビジェ展の時と同じくらい良かった。
さすが森美術館!シンポジウムは色々不満はあっただったけど展示はコルビジェ展の時と同じくらい良かった。
観終わって思うこと、学んだことは多々あったが一番気になったのは、
「メタボリズムの活動の中核に土木技術者(エンジニア)は全くいなかったのか?」
ということ。
当時の土木は、今とは比較にならない程の壁が他分野との間にあったのだろうと容易に予想がつくが、本当に全くいなかったのだろうか…気になるところ。
また、驚かされたのが当時のメタボリズムの活動には、「建築」や「都市」や「ID」といった分野だけでなく、「グラフィック」や「音楽」等の分野の人々も関わっていたということ。
どのような関わり合い方だったのかをより詳しく知りたいところ、その組織論に興味有り。
現在、微力ながら活動に関わっている「GS会議」「GSDy」も「GROUNDSCAPE」という一種の思想の下で、「建築・土木・都市・ランドスケープ・ID・歴史」といった分野の志高き人々が各々の分野で活動を行いながら、緩く繋がりを形成し、時にコラボレーションし、より良き風景の創出を目指していると言える。
「現代版のメタボリズムの様なものである。」
と語弊を恐れずに言ってみる。
あまり意識してこなかったが、「建築・土木・都市・ランドスケープ・ID・歴史」といった風に意識的にしろ、無意識的にしろ、ある一定の枠組みを決めてしまうことには否めないし、それによる弊害も少なからずあるんだろうなと感じる。
最近、「広告」の持つ優れた方法論だったり、「ファッション」や「音楽」「グラフィック」等々の持つ力や思考パターンに、まちづくり等々へのヒントを感じることが多々ある。
地域ブランディングに代表されるように広告やグラフィックというものから派生していった様な手法がまちづくりにとって重要な方法論にもなってきている。
とある先輩から伺ったことには、広告・商社・メーカーが一体となってまちづくり部門へと進出してくるという。建設コンサルタントはこの中でいかにして足場を確保するか。
→これはまた別の機会に。
話が少しそれたが、そういった意味で1つ前の記事で告知したようなGSDyで企画・運営している「salon」という場は非常に重要な意味を持っていると思う。
上述したような枠組みに囚われず、メンバーが興味を持った「コト」や「ヒト」に着目して、その道の第一人者の方のお話を伺ったり、メンバー同士で議論する場を企画実践し、議論の輪を、人の繋がりの輪を拡げていく。
「音楽と空間」「阿賀に生きるー映画上映会」「色彩と素材」「構造」「鋳物メーカー」等々、最近のサロンの内容を思い返すだけでも、数は少ないながらに実に多様な分野の議論の場が実践されてきていると思う。
ある先輩が言っていた。
「もっとサロンを活用しよう!」
ホントに、その通りだと思う。
場所も資金も確保されている。恵まれた環境にいるのだ。
しかし、現状2ヶ月に1回程度の利用、企画者もあまり出てこない。
これは「もったいない」状況である。
これは「もったいない」状況である。
なにが最終的に言いたいかと言うと、
それくらい面白いことができる「変革の時代」に生きているのだから、より志高く、積極的に「行動」を起こそうというコト。
(多分に自戒を込めてます。自分が何もできてないことは棚にあげてます。)
そういった積極的な行動能力、既存の枠組みに囚われずに柔軟に輪を拡げていく能力、そして何より時代を変えていこうとする野心。
メタボリストの諸先輩方から、激励をもらったような、そんな展示会だったと思う。
「頑張ろう、自分」
「頑張ろう、日本」
「頑張ろう、日本」