色んな場所で誰かと議論するなり
あれこれブログで書くなりすることで
思考はある程度整理される、それ自体は非常に良いこと
議論できる恵まれた環境にいるのは、非常に感謝しなければならない
しかし、実際に社会にも出ていない自分があれこれ考えていること
それは頭でっかちな思考に他ならないと感じる
社会に出たら大いなる壁に出くわすのだろう、間違いなく
今あれこれ考えていることが悪いことではない
でも、やっぱり第一線でご活躍されている方の言葉の前にして
返せる確かな言葉がない
(当たり前な悩み過ぎて自分でもびっくりですが言語化しておきたかった)
頭では理解はできているんだけれども
熱い想いはあるんだけれども
言葉もある程度でてくるのだけれども
現在の自分が発することのできる言葉に重みや確からしさがなく
全てがおこがましく見える/聞こえるのではないかと自分自身ですごく感じる。
それがもどかしくて、時々言葉に制限をかけるようにしている/してしまっている
もちろん、自分自身の行いの結果としての情報の蓄積や
それらから思考を巡らせて自分なりに解釈して出てくる言葉なので
それ自体を自己否定するつもりもない
むしろ、そこは自分を褒めてあげたい
自分自身の行動の積み重ねからくるものだから
むろん、それらは周囲の方々のご協力無には成り立っていないことは理解しているし
それに対して、感謝の気持ちをもっている
(…感謝したりていないかもしれません、もっとそれを表現します)
でも、やっぱりもどかしい
大先輩から頂いた言葉で以前もブログに書いたけど、
「重要なのは、今考えていることを、様々な状況の中でいかに継続できるか」
本当にこれに尽きる、読み変えれば
「社会人として大いなる壁と対峙した時に、いかに今持っている思考を曲げずに実践し続けられるか」
そして、
「実践の積重ね⇆頭で考えること(思考すること)」
「実践の積重ね⇆頭で考えること(思考すること)」
これが大切なのだろう
どちらか一方ではダメでバランスが大切
その両方を常に行き来しながら
自分の言葉に確からしさや重みを得ていければと思う
働きたい、実践したい、今、思考していることを社会にぶつけていきたい
と、もどかしく思っているのだと書き連ねていて理解
しかし、焦りは禁物
今はやっと軌道に乗り出した修論を最後までやり遂げること
これが最優先事項であり、これをしっかりとモノにすることが重要だ
グッチャグッチャな文章になってしまった
たまにはそういうグチャグチャな頭の中をそのまま言語化しておくのも良いとしようか
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