20110423 東京→仙台 [平野部内陸型]
東京を出発し、東北自動車道を北に向って、福島に入るあたりから徐々に震災の傷跡が至る所に見られる様になってきた。
内陸のため津波の被害はなかったものの、地震による被害が多々あったようだ。
高速道路沿いに立地する家々の瓦屋根が落下し、
ブルーシートで応急処置がされているものが注意して見ているとあちらこちらに見える。
また、高速道路の路面コンクリートには所々クラックが見られ、ジョイント部分での路面ズレによる段差などもあり、特に路面端部の部分では所々崩れて落ち危険箇所として囲いがしてある場所もあった。
更に眼につくのは、高速道路上空に架かる多くの橋。
多くの橋々が被害をうけ、応急処置が施されており異様な外見をさらしている。
写真はあまり撮れなかったが、下記の写真の様なπ型ラーメン橋では接合点のコンクリート部材にヒビ割れが生じているものが多く見られた。
また定かではないが、桁橋の多くはコンクリート橋脚がやられたのか、応急処置用の橋脚のようなものが設置されていた。
あまりこれら内陸部のことはメディアに取りあげられていないが、実際に見てみるとかなりの被害が会ったのではないかと思う。
震災後、数日間で仮にでも緊急車両等が通行可能な状況になったこと、今では多くの路線が一般車も通行可能となっていることは、NEXCO東日本、高速道路の設計・維持管理に携わるエンジニア達の努力と高い技術力によるところが大きいと考えられ、その復旧までの早さへの驚きと尊敬の念を覚えた。
東北自動車道にかかるπ型ラーメン橋の補修の様子(20110423.著者撮影)
NEXCOのHPでは、被害状況が、高速道路等20路線、854キロ区間及び4カ所のICにおいて交通の支障となる被害があったこと伝えている。
また、震災翌日20110312の早朝までには緊急車両の通行を可能とする為の仮復旧作業が20路線、述べ854キロの区間について完了している旨を伝えている。
(http://www.e-nexco.co.jp/pressroom/press_release/head_office/h23/0318b/)
現在では、高速道路だけでなく東北新幹線も青森まで全線復旧している。(20110429)
ここで文頭にみた高速道路沿いに立ち並ぶ家々のブルーシートを思い出す。
近代的なシステムの中で早期にかつ確実に復旧がされているものと、そうでないものが存在する。[もちろんそれらは復旧の順序(公共インフラなので早期に復旧が必須)]
しかし、『今も瓦が落ちてくるかもしれない』『雨が降れば雨漏りするかもしれない』そんな安全に暮らすという人間の最も重要な部分(生きるという意味においてはヒエラルキーが最も高い部分)の復旧が、一ヶ月以上経った今も進んでいないという事実に強い違和感を感じた。
その背景には、瓦職人の不在というものがあると同行した先輩から伺った。
一方では高い技術力によって早期に復旧が進められている、他方ではそういった地元の技術力の継承がされておらず復旧が滞っている。
被災地における船大工の不足についても良く耳にする。
被災した船をなおせる技術を持った職人が地方には圧倒的に少ないということである。
(もちろん修理する場所や道具、人材が今回の津波で失われているという側面も大きいと考えられるが、潜在的に状況は良くないということである。)
原発しかり色々な方面で、国レベルでの技術の問題も問われている。
しかし、こうした『ローカルの技術力』の問題。
持続的な地域のあり方を探っていくには、こういった見落とされがちな事実に対してもしっかりと眼を向け、継承の手だてをしていく方策、仕組みづくりを考えていかなければならない。
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